一年の計は・・・坂内2DAYSにあり。
俺はこのレースには特別な想いがある。普段の他のレースでは必ず成績を意識するが、このレースに限ってはある程度その辺りが吹っ飛んでしまう。24時間もバイクを走らせ続けるのは結構大変で、他のチームとの戦いよりも自身との戦いとしての存在が大きく、正に完走する事に最大の意義があるレースと感じる。
勿論、純粋に速さを競うレースとしても充分に走り応えがあるが、コースには特に大変な箇所はないので初心者に対しても寛容だ。コース全域がガレ場の上にハイスピードコースであり川渡りがある事もあって、ラップタイムが速ければ優勝できるという物でもないようで、速さは無くとも滾々と走り続けた方がより良い結果を望めるという面も持っていると感じる。
また整備技術、マシン製作力、チーム力も大いに問われる。ついでに長丁場だけに財力も問われてしまう所も否めない気がするが・・・。
俺が初めてこのレースを走ったのは、1999年。第三回の大会だったと思う。この時は、今も2DAYS常連のないとーさんのチームにヘルプとして参加。この時彼とは初対面だったが、その後2DAYS友達となった。次の2000年には自前チームとして参加。
24時間土砂降りの雨で、DT200WRは吸気にデバイスが多い為に水を吸ってしまって苦戦。それでも完走を果たした。ところがこのレースが終わってから、俺はバイクに乗らなくなってしまった。
再び参加しようという話が出たのが2002年。今回のマシンであるXLRを使用しての初めてのレースである。エンジンはほぼフルオーバーホールしたがナラシが間に合わず、スタート時に調子が出ていなかったが、完走。
2003年は自前チームでの準備が間に合わずに出場を諦めかけたところ、ないとーさんから声が掛かり、既に2DAYS常連となったこれまた別のチームに俺とN目君、N皮君の3人が、混ざるカタチで出場。
2004年、2005年もXLRで出場したのだが、どうにも俺は仕事が忙しすぎて事前準備が手伝えず、本番のみ走行。特に2005年は本番前1週間ほど連続完全徹夜してから合流、レース終了後そのまま仕事を始めて徹夜。当然次の昼間も仕事し続け、次の晩の2時頃終了という前代未聞の状態であった。
この頃俺は両親を立て続けに喪い、仕事の忙しさのあまり趣味のバイクもヤメてしまった状態。年に一回、坂内2DAYSを走るだけ。当然家族サービスなどに時間を割く事もなく、我ながらこれはイカンと思い始めていた。で、何かを変えることが出来ればと入手したのが、XR250BAJA、現280馬邪である。
2006年はこのXRで出場。
去年の記事 その1 その2 その3
思えば今でこそ俺の日々の暮らしに欠かせない(?・・・爆)N目君なんて、1999年当時は別に親しいわけでも何でも無かった。その他のメンバーも然り。現在の俺はほとんどツーリングには行かない(行けない)ので、バイクライフの殆どはオフロードコースで費やされる。なので、少なくとも俺の人生にとっては彼らはかなり重要な登場人物なのですよ。
そんなカンジで恒例行事と化した坂内2DAYSエンデューロ。今年は以前からこのブログでも書いてきたとおり、N目君のXLRで出場する事になっている。
多かれ少なかれどこのチームでも問題になるであろうのが、「誰のバイクを使うか」という事ではなかろうか。なんだかんだ言っても結構バイクが傷むからなあ。N目君も「このXLRでの出場は今年が最後」と言っている。で、完全ノーメンテのXLRの整備を俺が買って出た訳だが、色々あって取り掛かりが遅れてしまい、あまり手を出せなくなってしまった。申し訳ない。
せめてエンジンだけはと忙しい合間を縫って組んだのだが、これが俺が心配した通りのトラブルを発生。 ※詳しくは後日別記事にて 時間不足だったとはいえ、不安要素を認識しながらそのままエンジンを組んでしまったのは大いに反省・・・申し訳ない。スペアマシンのエンジンを積んで走ることとなってしまった。ちなみにこのスペアマシンの出所というのがまた面白い。カメラマンのN目君が赤の他人から借りてきた物だ。東海地区のバイク乗りには有名な人の持ち物。これ以上の情報をここに書くのは差し控えるが、もしもどこかで見掛けたら、「とんでもない災難でしたね」と労をねぎらってあげてください(笑)。
当初は我社の一角で作業をしていたのだが、あまりに仕事が詰まりすぎたため、N目君の高級ボロアパートに引き上げてもらった。申し訳ない。エンジン積み替え作業は本番前日。俺はまた極端に忙しくて、月曜日から完全に徹夜という状態を3日3晩続け、4日目の晩が夜間工事というハードスケジュール。金曜日の昼過ぎに会社の作業場を空ける事が出来たので、N目君の高級ボロアパートでの露天作業状態から我社へと再び引越し。俺はこの時点で、「もしもXLRの仕上がりがイマイチだったら、俺のXRを出そう」と密かに思っていた。
が、どうにかエンジンは掛かる模様。ただし調子が悪い。長期間の放置車両で、しかも走行8万キロという車両らしい。チューンドby俺(笑)のN目君のXLRはハイコンプで、併せてマフラー変更とエアクリーナー吸入口のダクトの取り外しが為されている。エンジンは積替えたもののキャブのセッティングはそのままらしい。調子が悪い事が判明して、この時点でノーマルのセッティングに戻したのだそうだ。これが本番で苦労の一因となる事はまだ誰も知らない・・・。
我社で作業を続け、12時ごろだったかな? 誰かが来たみたい・・・。と思ったら、Rすけ君。彼は去年一昨年と一緒に2DAYSを走ったのだが、今年は本来メインで走っているオンロードレースと日程が重なってしまい、坂内には来れない。そのオンロードレースとは何と国内に於ける草レースの最高峰、「テイスト・オブ・ツクバ」(旧テイスト・オブ・フリーランス)。去年も入賞した実力者である。ほとんどオフの練習はしてないのに、坂内でもかなり速い。何でも子供の頃から叔父さんの影響で池の平で練習していたのだとか。この日は心配して顔を出してくれたのだ。チョイ前までは男ヤモメにナントヤラだったのだが、遂に華が開いたそうな。本当にナイスガイだよ、俺の次に(アホ)。
もう一人、固定メンバーなのに今年は来れない男がいる。N皮君。田中麗震愚としては俺の次にオフロードレース参加に強い意志を見せる。走りもナカナカのモノだ。あとは坂内4時間EDのビギナークラスで入賞すれば立派にベテランライダーだ。…なのだが、妊娠中の奥さんの具合があまりよろしくないようで、今回は土壇場になって出場を辞退。残念です。
N目君のエンジンからほぼ新品のクラッチ周りを移植、タペットクリアランスの調整などの細かい作業をしてから積み込み。一週間ぶりの自宅に帰ったのは夜中の1時を回った頃。結局そのまま坂内へと向かう。現地には5時ごろ到着し、やっと2時間ほど仮眠・・・。
さて、コース内に車を入れてピット&パドックの設営を開始する。同じくXLRで走るチームを目ざとく発見し、「スペアマシン見っけ♪」とばかりに隣を確保(爆・・・スミマセン)。
スムーズなピットワークの為にコンパネでステージを組む。テント担当はテント収集家のN目君。
窒素ガスボンベやクイックチャージャーなどと合わせて、設備だけはワークス並み(ウソ)。時々通りがかる人が立ち止まって見て行ったり、話しかけられたり。
N目君に聞くと、何と一度もライトを点灯させてみてないと言う。試しにフィッティング開始。コネクターを差し込んでみたが、点灯せず。配線の色が違うのか?とテスターでチェックするも問題ない。すると球切れか? レンズを外すと、何とランプにカプラが刺さってない(爆)。勿論その後正常に点灯。
↑メンバーに的確な指示を与える世界の代表T中氏w
外装を丸裸にして作業してたら、主催者のスタッフが各ピットへ出張車検に回りだし、遂にウチにも来てしまった。「大丈夫ですか?」みたいなカンジだったので、ポコポコポコッと外装を被せて、「大丈夫大丈夫!」と平静を装う。ハケ塗り塗装のフレームは塗装で刻印が埋まってしまい、フレームナンバーが読めないので困っていたみたいだったが・・・(爆)。
そんなこんなでスタート時間が迫ってきてしまった。今年もスタートを担当する俺、慌てて着替える。が、ブレストガードが無い。どうやら忘れてきたようだ。仕方ないな、ナシで走ろう。それとナンとグローブも忘れてきたようだぞ!! N目君から借りる。本来は一周の練習走行(下見ね)を走ってきてからスターティンググリッドに並ぶ筈なのだが、もう時間がありましぇん。ピットから直接スタート位置へ。組んだばっかりでまるで走ってないのに、心配だなあ。
つづく。