トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

三密は不可避なフイールド・・・

2020-04-27 | 小人閑居して憮然
 泥水池の最終部、もう「池」とは呼べない水溜りになった№5。オーバーフロー部の仕切りの下に拳が入るほどの穴が開いて水が突っつ抜けになっている。オーバーフローした水流は傾斜路を50mほど下り、沢の流路へ注ぐ。それがこのオーバーフロー部の外側で潜り水となって傾斜水路の下方で現れるようになって半年余りなのだった。

 地下水路の長さは長く高低差もあるので全壊させる事は叶わずとも「オーバーフロー部の改修を行わねば・・・」と考えていた矢先の事態である。漏水孔は深く穿孔しているであろうことは間違いないし完治など難しいフイールドの特性があって、今回も予想はしていたが着手して「ああ、大事だ!」と感じてしまった。
 オーバーフロー部の水位を決めていた木材を外すと、その下に河原のような石ころだらけの空洞が横方向に広がり奥には漏水孔が下降していた。

 フイールドの地質学的の歴史は扇状地であったり汽水域であったり、とにもかくにも河川と海の産物地帯だから砂利層、礫層、粘土層と混在し扱いにくい水域保全を強いられる。
 この範囲の地質は粘土質の下は礫層だったが、鶏卵大からテニスボール大程の流れで摩耗した石が詰まって万石繚乱だ。これでは駄々洩れ百%保証のようなもので、この既に長期にわたった潜流で礫層が露わになり漏水を止めるのは厄介であることは一目瞭然、ため息しか出てこない。しかし眺めていても自然治癒・修復する訳もなく「帰宅前の水見回り」したばっかりに、断水を解消したのが昨日だったというのに、孤立無援の姥捨て山である。

 とにかく漏水部をあらわにし手当の方途を考える。礫層なので杭は効きにくいのは承知でも土嚢だけでは安定しない。区画で構成しないと防壁にはならないのだ。最終案も浮かばないけれど、とりあえず漏水孔の発生した部分に杭列で底土の流出を避ける緊急算段だけをして、この日は帰宅した。
 世間は「三密」を守るように毎日アピールされているが、フイールドだって「三密」では負けてはいない。漏水孔が多発するのはフイールドの地質と「密接」な関係があって、漏水の種は至る所、地下水路が張り巡らされているから「密集」状態だ。そこで漏水が多発し小生は「密閉」するのに天手古舞、ほんと水商売の明日は分からない・・・。
 世間は営業自粛や休業を余儀なくされていても小生の水商売は「待ったなし!」協力金も無い「怪我と弁当自分持ち」ハアコリャコリャ。

   仕切りを外すと空洞   ➡    まず土嚢一袋押し込む   ➡   杭列で応急処置

爺爺が夜なべしてマスクを作ってみた・・・解決ぞろりと参上

2020-04-27 | 今日は真面目に
 いつも借りている図書館へ返しに行ったら5月11日まで臨時休館になっていた。さーて困った、寝物語をどうしようと考えてみたけれど読書する本が無ければどうしようもない。そこでまだ少なからず残っているであろう脳味噌の皺を頼りに出した結論が「マスク作り」だった。春先の頃にコーヒーフイルターなどで作ってみたが、あれは時間つぶしの手慰みであって「これでも使える・・・」のを確認しただけだった。
 今回は眠気覚ましならぬ眠気誘導のための夜なべなのだったが、そこはそこ、いつもの悪い癖が出て終わるまで眠れなかった。

 製作したのは写真の四種類で、それぞれに個性を出したつもり。生地やゴム紐を購入に手芸店や百均にいっても品切れが多いと聞いてもいたし、改めて購入してまで作る動機も無いから捨てられなくて残してあった端切れを活用した。で、鍋の底ガーラガラ。
 この閉じ言葉は只見の従姉におしえてもらったのだが、たった一回なのに60年以上も記憶されている。無駄なことは刻まれて忘れない。そういえば「村の女は眠れない」という詩があった。これもラジオの朗読を一回だけ聞いたのだけれど暗澹たる詩だった。今なら新型コロナによる惨禍で多くの人々がそうなのだろう。

 フェルトの残りを使った一品で、裏地はどのマスクも同じバンダナ代わりに使っていた手拭いを当てた。使い込んで柔らかくなっているし、結果的にこの柔らかさが密閉度を高めてくれてるように感じた。
 フェルトの良さは密度が高くて形が崩れにくい事にあるだろう。使い心地も悪くは無かった。

 これも残り生地で、模様はわかりにくいけれど、この頃の流行りだとかいうクラウド模様だ。色合いも派手さも無く爺爺が装着しても違和感はないだろう。
 それどころか爽やかな風合いは姥捨て山のお爺でも「すてきー」とか言ってギャルが好みそうにおもえたのだが、そもそも姥捨て山にはお爺しかおらなんだ・・・人間、死して打ち止む残り火は熾きるイチゴサッテモウシタモウシタ。

 孫のチューリップ帽子やスカートやズボンに使った残り生地でアンパンマンもあったはずなのに見当たらなかった。あったなら「キャラクターマスク」二品を作ったのに少々残念である。爺が装着しても「二度童」の身の上では可愛く映るはず、間違いなかろう。まあ、世間的には「ばーか!」と思われるのは承知している。ユーモアを解さなくなった社会は終わりである、クワバラクワバラ。

 渾身の一品、本当は「耳無し芳一」に倣い般若心経の経文が印刷された生地を使いたかったのに手元になかった。そこで出羽三山山伏修行の時にお土産として買ってきた手拭いで作ってみた。伝いたい一言を収めるために少し大きめに作ってある。装着するとかえってたっぷりして落ち着く。このマスクだけは裏表とも手拭いの生地だけれど、立体感が崩れる心配はなさそうだ。そう、閉じ言葉の標準語は「越後ではそう申しましたとさ」。
 全くの余談だが「三密」は古くからあって「身・口・意」を意味する。喫緊の「三密」とは異なるけれど伝播感染は「身・口・意」と密接なかかわりがあるのは紛れも無い。このマスクを装着し手印と真言を唱えれば病魔は退散する・・・そんなことはありません!。

 まずは一通り作ってみて一件落着、落ち着いたものの就寝前の書物が無い今晩からはCDでも聞きながら眠るとするか・・・。簡単に作れる布マスクに何百億円も支出しカビ製品や汚れや虫の入った商品を2枚配布するなんて馬鹿げたことをよく考えるものだ。
 そんな金を使うなら医療現場にマスクでも送り付ける算段が出来る政治家はいないのかい・・・。「ハイ、いません」としか言えない現実は噴飯ものである。新型コロナの終息は来るだろうけれど、この寄生種はしぶとく絶える事が無いのは先師が喝破している。
 この頃はバカップルや血統筋、チョンの間が跋扈していると聞く。コロナウイルスも生きるためにそんな輩を学習するはずで「学びて時に倣う」なーんちゃって・・・。