まあ、ガーデニングのレベルではない専業農家へのお手伝いに早朝に自宅を出て行った。茶摘みは少年院の実習農場に手伝いしたことがあった程度で全くの初体験では無かったもののさすがに規模が異なる。9時前から16時近くまで実質6時間の手摘みである。広い茶畑の一角に寒冷紗を掛けた140坪程度の茶の摘み取りを8人で行い収量は40㎏を越えた。「摘み量35㎏」が製茶工場を利用できる最少量なのだそうで、今回の寒冷紗で覆った範囲で不足していたなら別畝に寒冷紗を掛けた一列があり、これも含めて最低35㎏にしなければならなかった。
初摘みの収穫は年ごとで異なり、多い年は70㎏の収穫もあったとか。今期は暖冬だったのに春の低温が響いて伸長が思わしくないとも言っていたけれど、たしかに伸長が少なければ摘み手は楽でない。寒冷紗の中に何畝あったか数えなかったものの小生は一畝半を摘んだ。外の茶園も手摘みかと思いきや手摘みはこの場所だけで残りは機械刈り、そうだろうそうだろう・・・。
作業自体は「辛抱辛抱」と思いつつ腰の痛さに身体の伸展を行いつつだったものの、もともとが農家生まれの農家育ちで作業自体は苦にならない。苦になったのはただ一点、茶畑までの農道の狭さと急傾斜で、高所恐怖症の小生としてはガードレールも無い農道の高度感は「二度と走りたくない」環境だった。しかし現地一帯の茶畑は緩傾斜の山肌に広がっていてそこだけ眺めていれば山上の別世界なのだった。
作業終わりには今期の初摘み茶を頂いて帰宅。少しのんびりできる気分の時に頂こう。翌日は慣れない作業をいつになく午前午後と行ったせいか疲労感があって、久しぶりの休日にした。「お爺も茶摘みの賑わい」で、ちなみに菅笠に絣の着物、赤いたすき掛けの若桜はおらず手馴れた同年配の姥桜だけでした。悪ガキがいたなら「お婆の中にお爺が一人!」と囃される舞台、失礼いたしました!。
お茶摘みに出かける気になったのも色々と柑橘類など頂く繋がりがあったからで、お返しするものが無い小生としては手伝い程度が関の山なのである。昼休み、欲しがっていた小生のために、ご主人がわざわざ肉桂の枝葉を折り取りに行って渡してくれた。帰宅後、さっそく保存容器でエチルアルコールに漬けた。毎日揺すって二週間後には「ハーブチンキ」いわゆるティンクチャーが出来るはず。手伝いに行かなければ肉桂など手に入らない代物だった。量が多ければ芳香蒸留水仕立てをしたのだが少なかったからアルコール抽出にした。これでアルコールも底をついてしまった。
中央部の寒冷紗の下で茶摘み 周辺は広大な茶園だった
初摘みの収穫は年ごとで異なり、多い年は70㎏の収穫もあったとか。今期は暖冬だったのに春の低温が響いて伸長が思わしくないとも言っていたけれど、たしかに伸長が少なければ摘み手は楽でない。寒冷紗の中に何畝あったか数えなかったものの小生は一畝半を摘んだ。外の茶園も手摘みかと思いきや手摘みはこの場所だけで残りは機械刈り、そうだろうそうだろう・・・。
作業自体は「辛抱辛抱」と思いつつ腰の痛さに身体の伸展を行いつつだったものの、もともとが農家生まれの農家育ちで作業自体は苦にならない。苦になったのはただ一点、茶畑までの農道の狭さと急傾斜で、高所恐怖症の小生としてはガードレールも無い農道の高度感は「二度と走りたくない」環境だった。しかし現地一帯の茶畑は緩傾斜の山肌に広がっていてそこだけ眺めていれば山上の別世界なのだった。
作業終わりには今期の初摘み茶を頂いて帰宅。少しのんびりできる気分の時に頂こう。翌日は慣れない作業をいつになく午前午後と行ったせいか疲労感があって、久しぶりの休日にした。「お爺も茶摘みの賑わい」で、ちなみに菅笠に絣の着物、赤いたすき掛けの若桜はおらず手馴れた同年配の姥桜だけでした。悪ガキがいたなら「お婆の中にお爺が一人!」と囃される舞台、失礼いたしました!。
お茶摘みに出かける気になったのも色々と柑橘類など頂く繋がりがあったからで、お返しするものが無い小生としては手伝い程度が関の山なのである。昼休み、欲しがっていた小生のために、ご主人がわざわざ肉桂の枝葉を折り取りに行って渡してくれた。帰宅後、さっそく保存容器でエチルアルコールに漬けた。毎日揺すって二週間後には「ハーブチンキ」いわゆるティンクチャーが出来るはず。手伝いに行かなければ肉桂など手に入らない代物だった。量が多ければ芳香蒸留水仕立てをしたのだが少なかったからアルコール抽出にした。これでアルコールも底をついてしまった。
中央部の寒冷紗の下で茶摘み 周辺は広大な茶園だった