トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

目には目を歯には歯を

2021-08-08 | 小人閑居して憮然
 年金高齢者が真夏日の日中、汗身泥となって泥地の中で蠢いている最中だと言うのに五月蝿くまとわりつく一匹がいた。いつもの事なので作業を続けていたら二の腕が「チクッ!」としたではないか。思わずバシッとやってみたのだが逃げられてしまった。しかし尚もしつこく周回しているから立ち禅で眇め瞑想に入った。で、ズボンに止まったところを一発叩いて捕まえたのだ。

 古来の教えに従い「吸血には吸血」でと、水面で多く蠢いているアメンボの中に落としてあげる。血は血でもって償わなければならないし刺したるものは刺したるものによって贖われるのも神仏の御意思、会者定離や適者生存も弱肉強食も大いなる自然の摂理で一部なのだ。
 少年時代、周囲は農耕牛の世界だった。耕耘するにも荷を引くのも牛が重宝されていたし、親父は自分の子どもより面倒見が良かったように思う。振り返ってみれば貧農の最大の財産でもあり農業を営む上でも最大の労働力でもあった訳だから当たり前なのだったと思える。
 この牛に取りつき吸血しようとするウシアブや吸血ハエには容赦ない贖いをさせるのは父の行為で、小生もその血筋にある。吸血ハエは蠅叩きでパシッと一発、ウシアブは飛べない程度に軽くたたき落として両翅を千切り道路に捨てていた。恐らく蟻の餌にでも「なれ」という事だったのだろう。「一寸の虫にも五分の魂」とも言うけれど家族の一員、家族の命綱の農耕牛を吸血するなぞ許せない気持ちだったのは間違いない。

 この時は池の中だったから水面に落としたのだが陸地では蟻穴の上に落して差し上げる。「そこらにポイ!」では悪戯に長引かせるだけなので、言わば武士の矜持・情けでもある。あの誤倫ヒック、すでに数万食が廃棄されたとか、小生、アブ一匹たりと言えど食材を廃棄するなどしない・・・。