トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

今日のエッ!品「長芋入り玄米ちぎりパン」

2021-08-16 | 何よりの楽しみ
 少々、降り過ぎだろうと言ってしまう雨降りお憑きさんが続いている。昔から「お爺、飽かすにゃ雨の三日も降れば良い」の言葉通り、雨籠りでは玩具作りも粉塵まみれになるから出来ない。結局は繕い物などをしたりするのだがサスペンダーのゴムを交換し、スマホをベルトに吊り下げる袋などは午前で終わってしまった。今時、繕って使う事をするような人物は小生以外には知らない。これも「三つ子の魂百まで」のなせる業か…と言うより捨てられない。作業衣などは擦り切れても膝当て布をし尻当て布をして使っている。襟回りの擦り切れなどは裏返して使う。もう、ほとんど性分である。
 つまりは「捨てられない止められない、着衣の補修作業」なのだった…。

 昼前にスーパーに行きドライイーストを購入して、そのまま玄米2カップを挽臼で製粉し少しばかり本格的なパン作りに挑戦する気になった。全くの最初なので基本中の基本のレシピと方法で行えば良い物を、生来の偏屈天邪鬼へそ曲がりなのだろうか、どうしてもやってみたいレシピが見当たらない。「帯に短し襷に長し」で、そんなことから「軽羹饅頭」の食感が出るのかどうか確かめたくて長芋も調達した。
 本来は大和イモと自然薯を用いるのだとかと記載されていたが「馬も四つ足、鹿も四つ足」の理屈が通る。そう「長芋も大和イモも自然薯も芋に変りは無いじゃなし!」である。更に追い鞭をすれば「富士の高嶺に降る雪も 京都先斗町に降る雪も 雪に変りは無いじゃなし…」なのだった。そもそも懐が深いから浮世は成り立っているのである。浅ければ浮きも沈みも出来ないのは宇宙の真理だ。
 ちなみに小生の懐は浅いから浮きはしないものの、いいえ、沈みっぱなしの負け組。だから深淵とか深宇宙とか表現する。とかなんとかおっしゃいましてのちじれっけ。

 ネットのレシピや調理本のレシピもレンジの取説にもパンのレシピはあるけれど、発酵時間を比較しても30秒だったり50分だったり一回だったり二回だったりと大きく差がある。材料分量でさえ「てんで」なのだった。頭脳明晰な小生でさえ呻吟苦悩、約椀切歯するほどのレシピ多様性に満ちた世界だったのだ。こういう状況は「製法多様性」の世界なのであろう。で何時もの通り「仕方が無いから頭を掻いて…」笑ってごまかす。
 しかしなんだ、あるべき頭髪が無いのに脂漏性湿疹があるのは腑に落ちない。で採用したのはオーブンレンジの取説のレシピで、当然、同じレシピではなく近似的なものとなり「こんなもんで良かろうばい」なのだった。まあ、こんな笊頭では捲土重来は遠かった訳である。ネットレシピ集は投稿者それぞれアレンジしすぎて、とどのつまり「みんな一緒・大同小異」なのだった。やはり基本に帰るのが肝要で後期高齢者になってようやく知ったのだったが今更、叱咤激励してももう遅い。

 長芋が入ったから玄米紛を多めにしたりしたものの緩すぎて二次発酵した後も形がまとまらない。大きめの成形は無理だと感じ紙の容器に小分けして焼いたのだ。最初にやみくも一緒にしたのが間違いのもとであった。順序や道理が頭に入っていない。
 出来上がりは前回のベーキングパウダー使用のパンよりは咀嚼感も異なったが、長芋が入ったことに由るのかどうかまでは分からない。そのまま試食しても美味しかったのだが、さすがに完熟梅ジャムは食傷気味、今回はちぎりパンなので夕食時にブルーベリージャムを付けて食してみた。雨の休日とは言え、ご老体には堪えたソーイングと挽臼製粉、製パンの一日。夕食は簡単にちぎりパン四個、牛乳カップ一杯、熟星の出たバナナ一本で済ました。

 初回の玄米パンの折りにも触れたのだが「玄米パンは旨い」ご飯より旨い。そこで小石に躓いた「精米紛パンならもっと旨くなっているのだろうか⁉、100%糀パンはどうか⁉、」あーあ我が業は限りなし、自ら我が老体を苛んでくる・・・。人生は因果であるし応報は輪廻から抜け出せない事だ。我が政府官僚も愚体策から未だに脱しえないものの、掩蔽や改ざん、塗りつぶし、嘘八百答弁等々、この手の具体策は熟達しておる。「君子は政に携わらず」の活性見本であろう。

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