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トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

「雨降りお憑きさん」想

2021-08-18 | 小人閑居して憮然
 梅雨時かとも見紛う長雨で、もう一週間もステイホームのままだ。水域が干上がる心配は皆無なものの気になってくるのは致し方ない。自分の力で左右できる事象ではないので辛抱・忍房・蜻蛉で病ン坊にならないだけでもめっけものである。
 古来「小人、閑居して不善を為す」と言うが、この環境はまさしく「それ」で我が精神構造や脳味噌ネットワークの弱点が顕在化する。まさしく「水域の止まぬ漏水孔」に等しい。

 自虐的にやけっぱちに、また冷徹な視点で「雨降りお憑きさん」と喝破しても糸引き納豆のように離れないのが脳内の魑魅魍魎で「おんぶお化け」のように密着したままだ。思うにシナプスのような神経触手は糸引き納豆の糸と置き換わってはいないか気になるところではある。まあ、とは言え一心同体・偕老同穴であるから、これも致し方ない。幸せも不幸せも喜びも悲しみも表裏一体か。
 「貧乏人は麦を喰え!」と言われたのは我が幼少のみぎりで、昨今は「死んでしまえ!猫を救おう!」との垂れる大誤が顕在化したが進化したものである。そう言える基盤は自ら汗水たらして築いたものではない。おおくの有象無象が蠢いて憑き持ち上げられた結果なのだ。天上界から下がった慈悲の糸にしがみついている事すら忘れている。
 これは偶然にも自分の境遇が他人より恵まれていたという事象を「他人より優秀な結果なのだ」とメンタルがそう翻訳した事さえ理解していない。まず己のメンタルを鑑みる事から始めよ!。物の怪でしかない面罵リストなど片腹痛いわい。己自身が魑魅魍魎の一部である事すら認識していない。

 さて「雨降りお月さん」の一部を記すと
            雨降りお月さん 雲の陰
            お嫁にゆくときゃ 誰とゆく
            一人で傘 さしてゆく
            傘ないときゃ 誰とゆく 云々             作詞 野口雨情
 とあるが、わが青春の頃は
            花嫁は夜汽車に乗って 嫁いでゆくの
            あの人の 写真を胸に 海辺の町へ
            命かけて燃えた 恋が結ばれる
            戻らない 何があっても
            心に誓うの                      作詞 北山修
 
 と歌われたように大きく様変わりした。小柳ルミ子が歌った「瀬戸の花嫁」なども見合いより恋愛の範疇に入る歌だったか。

 それに引き換え「雨降りお憑きさん」などと偏屈言っているお爺だが引用変更の責は取らねばなるまい。続きを明らかにすると
            雨降りお憑きさん 陰の様
            お黄泉に逝くときゃ 誰と逝く
            一人で帷子 掛けて逝く
            帷子無いときゃ 誰と逝く
            チンチーン ジャラーン 楽師付け
            御輿に載せられ 揺れてゆく              コピペ トロルお爺

 なのであってまあ、夢も希望もへったくれも無い人生の先行きだわい。気持ちだけは「同行二人」でゆきたいものだ。

 あの「雨降りお月さん」の作曲は中山晋平氏で、我が郷里の母校校歌をも作曲していて当時はごく普通な事だったようなのだが長姉は折に触れて口に出し誇りと思っている様子だった。
 その長姉も齢九十に近くなった現在、耳も遠くなり記憶も斑に出たり引っ込んだりとままならなくなってきた。そんなことから電話は使えないし、たまにはご機嫌伺いをしたくても感染爆発下では居住地でさえ出る事は憚らなくてはならない。歴史の中で押し込められた先住民や蟄居者の心情理解には近寄れるかも。
 それにしても平和ボケと言うより幼稚化なのだろう、この非常時に自己抑制も出来ず「我慢できない」なんてほざく輩が減る事も無く人流に滞りは無く「欲しがりません勝つまでは」なんて事は歴史の闇に消えてしまっている。今でしょ!

 まっ、ボケーと雨音を聞いていると時を置かず恍惚感なのか眠気なのか正体不明な感覚が襲ってくる。危ない危ない、アブには注意しよう!。アブ一匹でさえ痛いもん、痒いもん、腫れるもん!。新型コロナを甘く見てはいけない。為政者は為すべき術も出せず犠牲者はコロナ昇り、既にもう土砂降りお憑きさんになってしまったよ。
 これって「肛門の線状サナダムシ…」元へ「後門の線状降水帯、前門の新型コロナウイルス」のお憑きさんダブルパンチじゃあないか。このページ、まさしく「小人閑居して不善を為す」結果となった本文である。申し開きをしておくと、こういう範疇は小生の本分ではないのだ。

 

暑さの作業はヨタヨタ続く・・・

2021-08-18 | 水辺環境の保全
 八月の初旬、この日で漏水頻発部の埋め立てが終わった。とはいうものの予定した区域は土が不足で3割ほど残ってしまったが致し方ない。この日の気温は当然真夏日だったが郷里越後では39℃超えの記録が出た。記憶を思い起こせば中学生の夏、「暑いなあ!」と温度計を確認したら28℃、当時はこれくらいで「暑い!」と嘆息していて未だに記憶にある事なのだった。

 二つ池の漏水頻発部の埋め立てもとりあえず終了した事にして次の作業に移る。漏水頻発部を埋め立てたものの下棚への漏水は続いているから考えていた根治術とはならなかったけれど満水位を復活できた事では満足しなければならないだろう。
 埋め立て土が無いので上棚法面下の猪走りを撤去した結果、ニホンアカガエルの産卵好地がより木陰に入るようになったので次年度の産卵数の増加に期待を込めたい。そのための環境保全促進のため水位は安定して維持しておきたいのである。

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