トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

ボロは着てても頭部は錦

2021-08-17 | 今日は真面目に
 まあ、リフォームと言うより繕い物の範疇だろうが「五十歩百歩」であるし「目糞鼻糞」の類でもある。夏の衣服だった甚平の上着、薄手で軽くフイールドで少し寒い時に羽織ると丁度良く重宝していたのだが、襟先が擦り切れて中の接着芯もむき出しだし、後ろ襟も減って見苦しくなった。
 それでも捨てられず初冬や春先に使ってきたのだが、このところの長雨で退屈しのぎに繕う事にしたのだ。とりあえずは既にお役御免にした甚平のズボンをほどいて当て布にすべく夜鍋作業。暇つぶしには格好の玄米製粉、パン作りがあるのだが次のタスクは材料が無くて後回し。まっ、そうそうパン作りを連日するほどの主夫ではないし頑張ったところで爪楊枝で「シーシー」するようなC級グルメなのである。

 新しく襟に使う部分はアイロン接着芯を付けて、背当ての布地はそのまま縫い付けた。結構、面倒かなと思ったものの、洋服とは異なる断ち方なので素人には優しい繕い物となった。夕方まで必要かと思って取り組んだものの昼食前には作業は終わり、午後から「どうする⁉」と自問自答せねばならない羽目になった。
 思えば小学生の頃から靴下の穴をかがってはくような小生だったから「必要は技能の母」なのだろう。繕い物やリフォームなどをするたびに「今時、こんなことをするなんざ!」と自嘲しないでも無いけれど、全ては我が身一身にかかわる以外の波及は無いのだから恥じる事も無い。
 そういう事を続けてきた人生であればこそ金メダルは無くても我が頭部は燦然と光り輝きを増す一方なのであった。決して男性型脱毛や老化現象では無い事は当事者である本人が合点承知の助であって、自分のボロ着に糸切り歯で糸切りする様は、他人のメダルを齧るより尊いはずで、あの行為は齧るより「舐めたかった」に違いないとお爺は確信を持って言える。何故ならノラクラした顛末と頭部に錦は無いからだ。と言うより「空だ」で締めたかった。

 まあ、小生には記者会見はないもののトンボ会見はいつでも可能だし、重要事項を頓亡会見、通りすがりで済ます様な逃げ腰も無いもののぎっくり腰と腰痛は持病であるのだ。「人、皆平等」とも言うけれど、その中身は千差万別で「みんな違って、みんな良い」と誰かが書いていた。
 昔「恍惚の人」と言う小説があったが、さしずめ小生には「光惚の人」が相応しいか、それとも「硬骨の人」か・・・。前者である。

     後襟はボロボロ、背中は擦れて薄い   ➡    背当てと襟を繕う

今日のトンボ「連結産卵」

2021-08-17 | 小父のお隣さん
 「トンボの産卵」と言っても種によって多様だ。郷里に居た頃は「チョンチョン産卵」しか知らず、飛翔しながらの産卵なんて考えもしなかったし、ましてや連結したままで産卵するアクロバットな産卵なんて思いもしなかったのだ。

 ところがフイールドに水辺を設えトンボが集まるようになると多様な産卵形態を実視出来るようにもなって「多様性」の多様性をまざまざと、いい歳こいて知る事にもなったのだ。知ったからと言って減る一方の年金、上がる一方の介護保険料、苦しくなるだけの生活、豊かになるだけの生息数と、どう転んでも豊かな生活には程遠い日々なのだが、それはそれで「日々是好日」なのである。

 細身のイトトンボ類の連結産卵で思う事は「♀って剛力ヤベー」と思わずにはいられないのだった。剛力彩芽、いいえ剛力の手弱女と言って良いだろう。なんと言ったってオスに首根っこを掴まれながら支え、自分は産卵し続けるのだからまっこと「母は剛」なのである。俺、こんな女房に出会いたかった・・・。

 冗談本音はともかくトンボのカップルが作るハート形は知られているが、その形の中に別のオスの精子を捨てさせ自分の精子を送り込む精緻な秘密があるとは高齢になって知った事だ。ホモサピエンスの生殖なぞ単純極まりない物だった。
 あの佐藤女史の「自薦ユーモア短編小説集」の中に一女性の口には出せない赤裸々な胸の内をつづった作品があったのだが、思わず「へーっ!」と感嘆したのだった。まあ、胸の内や想像は果てしない。そこが異なる。言わば定型詩と連詩の違いだろうか。

      キイトトンボ  クロイトトンボ  ネキトンボは飛翔型