トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

漏多くして液少なし・・・

2021-08-11 | 水辺環境の保全
 「漏少なかれば液多し」もまた水辺の真実である。依然として漏水箇所は不明なものの埋め立てを進めているうちに長らくオーバーフロー部に達しなかった水位がギリギリまで上がってきた。埋め立ての結果、池の容積が小さくなったのではない。反対側は掘り取られて水域になっているからである。一晩経過しても満水位のままなので不明の漏水孔の一つくらいは詰まったのだろうと推測していても依然としてこの棚法面下部からの下棚への漏水は減少してはいない。

 漏水量を測定している訳でも無いのだが満水位になっているという事は、それなりに今回の埋め立てが効果を現したと言って良いだろう。とは言え何度となく、掘り立てて、埋め立てて、土を移動し、取り除いてと無駄な労力を費やし悪戦苦闘しているのは「馬鹿丸出し」でもあるのだが、別に「世のため人のため」など考慮外の姥捨て山の孤老となれば孤老なりの身の処し方でもある。毎日日曜日を何とかせにゃならぬ!。
 「一作なさざれば一食喰らわず」の心持は姥捨て山の孤老には大事な矜持であるものの実態は年金が減らされる一方なのもまた現実なのだ。まあ、箱庭療法で痴呆防止のセルフケアでもあるし子ども食堂が命綱という民草も増えている浮世ではフイールドの三つ葉やセリを食せるだけましなのだ。
 でもさて「労多くして益少なし」と言えど、閻魔様の前には身一つだけで臨まなければならない我が身には申し立て免罪符にはなるやもしれん。「閻魔様、小さい命を保全してました。小さい孔は潰してました」と言えば耳を貸すかもしれん。

 いつの頃だったか祖母がトンボを捕まえて帰った孫に「トンボの背中を見な。観音様を背負っているだろ」と言われた事がある。それでまじまじと背中を見たら、今で言う円空仏みたいな像があるではないか。それで初めてトンボも大切な生き物と知ったように思える。それまではトンボの腹部を半分にしてマッチ棒を挿して放して喜んでいたのだったがピタリと止めた。
 もちろん、捕虫網など購入してもらえる環境では無いので何で捕獲していたのか…古い記憶のひとつでもある。

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