予定していたより手間をかけてしまった。結果として食草園の表土は平坦さが増したし有機質の多い泥土を客土したとも言えよう。特に大木になるトチノキの低かった周囲にどっさりと泥土でも置くことが出来たから来季は一層大きくなってもらえるだろう。
今まで低く感じていた林床部に客土できたことでそれに連なる低い部分が目立つようになって、結局は作業を止められなかった。それでも沈泥池の浚渫を9割がた出来たし、それも台風10号のもたらす降雨までに作業が終えたので祝着至極である。
今回の泥浚いは足場板を用いて浚い、そのため池の中に立ち入る事は少なかったもののスコップで掘り取り運ぶ作業となったので、長柄のジョレンで掻き寄せ水切り場へ積み上げるより手間がかかった。その反面、水切り出来ない泥土でも客土してしまえば水は抜けるし、崩して平坦にしなくてもおっつけ威之志士様が掘り崩し風雨で平坦になっていくだろう。そんな後処理でも構わない客土なのだった。
水域に沈殿する砂泥は、本来は水深を浅くし生息域を狭める厄介物なのだが、沈泥部を設けたことでリサイクルが出来て水辺の保全や構造強化にも役立って来た。ただこの機能があるからと言って、他の水域に土砂が溜まらない訳ではないけれど、今回の沈泥池だけで一輪車30杯程度、泥土を運び出したから、それなりに機能しているのは間違いないだろう。
作業中、月1回の環境調査に来たNさん、彼とはお互いに棘のことだまを投げ合う間柄なのだが、いみじくも言った「こんな暑さの中で泥浚いだなんて普通ではない気違いだ」に対して「気違いが一人でもいるから環境保全がなされている。6人ゾロゾロ徒党を組んで植物の名前を言い合っているなんて傷の舐め合いで何の役にも立たん」と投げ返していたら連れはビックリ顔だった。二人には普通の会話なのだったが。
どっちにしても小生「姥捨て山独りぼっち」であって馬鹿でもチョンでも構わん。やっているからこそ保たれているのだから、そこが大事なのだ。まあ、水域の泥土みたいなもんか「底も大事」。こんな時には福岡伸一氏の「動的平衡」と言う言葉に励まされるのだった。まあ、禿げはますます増しているけれど生物学的には「遺伝形質」なので小生に責任は無いがフイールド環境には自己責任があるし、もう一つの事故責任「怪我と弁当、自分持ち!」・・・。