トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

今日のトンボ「マユタテアカネ未熟体」

2020-09-20 | 小父のお隣さん
 雨上がりの草むらにいた一匹、何とも判断がつかない。たまたま居合わせたS先生に尋ねたら「マユタテアカネの未熟体」だった。この感じのテネラルは発生初期から今期は隣接池を通る時に度々見かけている。ただ、気が付いた時は飛び上がった時で、止まるのを待っていても概ね視線は上に向く位置だったから撮影できていない。
 顔面を撮れなければ小生は「マユタテアカネ」の判断が出来ないのだ。赤みが増すのはオスの方だけれど、未熟体のこの色調や色彩は引き付けるものがある。

            


ノアザミとシタキリソウの定植

2020-09-20 | 今日は真面目に
 庭で養成していた苗もそのまま冬越しさせる訳にもいかない。猛暑の季節もようやく落ち着いたようなので間伐作業を中止して定植する事にした。ここで用材調達の間伐に入れば定植は更に遅れ、活着しないうちに凍結期を迎えてしまうから「彼岸前」がギリギリの選択だ。

 ノアザミは吸蜜用で食草園脇のトンボ池の堤に植えた。庭で育った大株とそれから採種採り蒔きしたポット苗である。ポット苗は13株あったのだが安全を考慮して2株づつ7カ所に定植した。泥水で「水決め」を行い、威之志士様の掘り返しを防ぐために忌避剤も株もとに散布する。食草園に初夏の頃、定植した明日葉と昨年植えて今秋は開花結実確定だったホトトギスは痕跡も無いほど耕起されて消滅だ。復活させるには養成苗でなく種子を直播しないと同じ憂き目になるだろう。
 刈り払ったままだ  ➡   苗の準備  ➡   山土も施す

 堤の肩のあたりに列植したのだが、先だって刈り払っておいたカサスゲがそのままだったから集草・場外搬出した。ここだけで一輪車2杯分になった。刈り草放置は威之志士様の掘り返し「GoToトラブル」容認になってしまうのだ。ノアザミは強い植物だからラフ植えでも失敗する事は少ないけれど、何せUターンさせた出戻りなので少々気は使う。

 シタキリソウは泥水地に、これも2本づつ抱き合わせで定植した。小生とS先生が発芽させた苗の混植である。数年前に植えたシタキリソウは田土と言う土壌のせいか元気が無く2カ所は消えてしまった。その後釜という訳でも無いけれど、アサギマダラ幼虫の食草になるのかどうか確認したい植え付けである。一番小さい苗は持ち帰り家で養成を続ける。
 先日、親蔓を見たのだが巻き付き這い上がっていたヤマザクラが倒れてしまっていた。これで蔓が損傷していなければ食痕の確認が出来るという事になるが、確認が取れれば定植は無駄だったという事になるのだろうか。いいや、食草となるのなら育てる価値はある。
              2本づつ3カ所

 少し早めに終了したから山土を一輪車2杯運んで木本(ユズ、サンショウ)などの根元に敷いた。柑橘類にとっては水際は不得手のようで機嫌が悪い。植え治すにも棘だらけだし客土で「高植え」風に誤魔化せば機嫌が直るのかどうか分からないけれど、ほんのお気持ちでもある。

猪奮迅・構造粉砕・爺爺憤慨

2020-09-19 | 小人閑居して憮然
 残暑の頃は山野に食料となるものが枯渇している時期でもあって威之志士様の跋扈破壊は広がるばかりだ。それもどういう訳か要となる部分や植え付けたばかりの株を狙うのだ。
 泥水地の堤や法面、同じく棚田部の法面の破壊が酷く、トラクターで耕起溝切りしたような有様になってきた。このまま容認すれば湛水構造が破壊されるので、ついに音をあげて忌避剤を散布した。忌避剤と言っても多様な物を試してみたが能書きほど効果のあった忌避剤は皆無で「餌とすみかを失くす環境対策」と「侵入防止柵の設置・管理」の「総合対策」がもっとも有効だと「現代農業9月号」にも喝破されている。

 それでは小生のように資材もお金も無い輩には対処の仕様が無いのであって「荒れるがまま」に跋扈蹂躙させて良いはずも無く、小生は貧者の核兵器「農薬」の使用に踏み切った。薬効は問わず臭いに忌避効果を求めるのだ。長期的には効果が無いけれど少量のスポット散布で被害抑制は感じられている。懸念は雨水とともに水域に流れ出た薬害なのだが、殺虫効果を上げる濃度には程遠い量なので、臭いに敏感な威之志士様ゆえ効くのだろうて。

          泥水地         棚田部堤

ヒガンバナ開花始まる

2020-09-18 | 小父のお隣さん
 泥水地のヒガンバナが蕾を立ち上げて数輪が開花した。小生としてはヒガンバナより「曼殊沙華」の方が好みだ。今朝の新聞下段、雑誌広告の中に有名女優が「沙華曼殊」と言ったとか言わなかったとかと出ていたが、本来はどうでも良い個人内差の事である。こういうキャッチコピーを打てば販売数が伸びるのだろう。雑誌もテレビもネットも「一億蒼白値禍」に寄与している。かの御大がテレビ黎明期に言った言葉は言い得て妙、先見の明だった。

        

さらってうめた 4

2020-09-18 | 感じるままの回り道
 沈泥池から浚った泥土を一輪車で運ぶこと30回以上にはなっている。ようやく気がかりだった食草園と第二トンボ池の天井池状態が少しだけ緩和された。これで「溢れて決壊」という事態は少しだけ遠のいた。
 それだけにとどまらず客土して地表が平坦になったことで歩きやすくなるだろうし食草や食樹の生育にも寄与するはずだ。ただ狭い食草園だし樹木が主体になっていたので成長に従い林床は暗さが増して樹冠は当然覆われている。数本は間引きしたいけれど竹やコナラの間引きとは異なり躊躇がある。

 周囲に溢れている樹種でも無くて本数も多いわけでも無い。失わせるリスクを考慮すると最低3本は用意しておきたいし雌雄別株の種なら雄雌2本づつは欲しい。そんななんやかんやのまま林床を整えたのだった。
 客土した泥土はしばらくは威之志士様の蹂躙に遭い続け、来期の植生はおぼつかない恐れもあるものの、大仕事を終えたという安堵感はあった。それにしても暑い暑い辟易しながらの作業だったが終わってみればどうと言う事も無く「近いところから忘れる」年齢的特質から次の泥浚いが妄想されるのだった。「もうよそう」にはなかなかならんのだった。

 池に堆積泥厚く 辛い泥上げ人の言う ああ吾泥土にダダまみれ 玉汗噴いて帰りきぬ 池の泥土はなお厚く 辛い泥上げ人の言う チャンチャン!  

           

今日のトンボ「リスとマユタテ混乱中」いいえ混卵中⁉

2020-09-17 | 小父のお隣さん
 久しぶりにS先生が来場されて、この頃目につく濡れた路面への空中産卵の場所を見てもらった。何のことはない吐水口周辺は飛沫や伝い水で濡れたままなのだが、その周辺の路面に産卵しているカップルが目立ったのだ。先日も翅端斑のあるカップルが空中産卵していたから「これはリスアカネに間違いない」と当てにならない確信をしたものの撮影は無理。てなことでS先生に確かめてもらうつもりだった。

 現場では3カップルほどが打水産卵ならぬ打面産卵中でどのカップルも翅端斑が認められる。S先生曰く「オスに翅端斑が無いから、これはマユタテアカネ」の判定だった。先日に眺めていた折、オスに翅端斑があったかどうか確認していない。「翅端斑が見られるカップルの産卵」としか言えなかった。てなことで、この日はリスアカネの産卵ではなかった。
 その時に教えられたのが「オスに翅端斑があればリスアカネ」と判定の勘所だったのだ。つまり、マユタテアカネのオスには翅端斑が出ない、という事なのだろう。これで小生も判断しやすくなった。「オスの赤トンボで翅端斑があればリスアカネ」と少々危ない分岐点ではあるけれど、小生が他人に教える事なぞ皆無なのだから少々の誤認でも害はない。

 上の池内のウシノヒタイが繁茂している上で空中産卵していたカップルや個体もいたのだが、これもマユタテだった。マユタテが空中産卵するとは思ってもみなかったし、草藪の上で産卵するなど「愚の骨頂」ではないかと尋ねたところ「湿った場所だし孵化して移動するから大丈夫」なのだった。それにしても孵化体はコンマ何ミリの大きさなのだろうが人間と比較すれば1キロ程度は移動する勘定になるかも・・・。

 それはともかく林接池でようやくリスアカネを撮影できた。PCで以前の写真と比較していたら8月中旬の赤とんぼはリスアカネのように見える。尾部付属器がハサミ状なのでオスと判断してのことだ。因みにマユタテアカネを添えてみたがマユタテアカネのオスには翅端斑が現れない、という事を知って初めて区別がついたのだった。今期もひとつ学んだ。

 この日の個体   8月の個体   ➡    こっちはマユタテアカネらしい

さらってうめた 3

2020-09-16 | 水辺環境の保全
 予定していたより手間をかけてしまった。結果として食草園の表土は平坦さが増したし有機質の多い泥土を客土したとも言えよう。特に大木になるトチノキの低かった周囲にどっさりと泥土でも置くことが出来たから来季は一層大きくなってもらえるだろう。
 今まで低く感じていた林床部に客土できたことでそれに連なる低い部分が目立つようになって、結局は作業を止められなかった。それでも沈泥池の浚渫を9割がた出来たし、それも台風10号のもたらす降雨までに作業が終えたので祝着至極である。

 今回の泥浚いは足場板を用いて浚い、そのため池の中に立ち入る事は少なかったもののスコップで掘り取り運ぶ作業となったので、長柄のジョレンで掻き寄せ水切り場へ積み上げるより手間がかかった。その反面、水切り出来ない泥土でも客土してしまえば水は抜けるし、崩して平坦にしなくてもおっつけ威之志士様が掘り崩し風雨で平坦になっていくだろう。そんな後処理でも構わない客土なのだった。

 水域に沈殿する砂泥は、本来は水深を浅くし生息域を狭める厄介物なのだが、沈泥部を設けたことでリサイクルが出来て水辺の保全や構造強化にも役立って来た。ただこの機能があるからと言って、他の水域に土砂が溜まらない訳ではないけれど、今回の沈泥池だけで一輪車30杯程度、泥土を運び出したから、それなりに機能しているのは間違いないだろう。

 作業中、月1回の環境調査に来たNさん、彼とはお互いに棘のことだまを投げ合う間柄なのだが、いみじくも言った「こんな暑さの中で泥浚いだなんて普通ではない気違いだ」に対して「気違いが一人でもいるから環境保全がなされている。6人ゾロゾロ徒党を組んで植物の名前を言い合っているなんて傷の舐め合いで何の役にも立たん」と投げ返していたら連れはビックリ顔だった。二人には普通の会話なのだったが。

 どっちにしても小生「姥捨て山独りぼっち」であって馬鹿でもチョンでも構わん。やっているからこそ保たれているのだから、そこが大事なのだ。まあ、水域の泥土みたいなもんか「底も大事」。こんな時には福岡伸一氏の「動的平衡」と言う言葉に励まされるのだった。まあ、禿げはますます増しているけれど生物学的には「遺伝形質」なので小生に責任は無いがフイールド環境には自己責任があるし、もう一つの事故責任「怪我と弁当、自分持ち!」・・・。


           
       

氏子が出来た!

2020-09-16 | 小父のお隣さん
 トンボ池の堤にノアザミを定植しようと横を通ったのだ。何気に蜂満総社の側面をみたら巣穴が埋まっている。その上、蜂が二匹活動中だった。ようやく蜂満総社にも氏子が付いた事になる。より科学的かつ正確を期するなら「蛆子」と言わねばならないのだろうが、論文でも評論でも無い二度童のお遊びなのだ。氏子でさしつかいあるまい。因みにこれらの蜂は「刺し使い」はしないので安心して覗き見出来る。
 他の区画には氏子はもとより不動産鑑定士も見えていない様子だった。

          

フジバカマの草丈

2020-09-15 | 小父のお隣さん
 庭のフジバカマは概ね1m前後なのだが、泥水地や棚田部に発芽したフジバカマは草丈がダントツなのだ。その上、花の終わりも早くてアサギマダラが現れないうちに花期を終え枯れ始めてしまう。今期のフジバカマも大株から枯れ始めている。種子を採集し取り巻きしても良いのだが、遺伝形質がこの高性種であると景観的にも植生のバランスからも好ましく思えないので迷いつつ眺めている。

 泥浚いの休憩中に草丈を計ったら210cmあった。一般的には60~120cm程度とあるから「高すぎる」草丈だ。この株はアサギマダラの到着に間に合わないけれど泥水地のそれは今が盛りだ。自宅のそれはようやく花が見え始めたところ。
 小生にとって草丈はどうでも良いのだが開花が早生では植生の一部として存在させている意味が無い。場所を変えてやれば開花が適期となり伸び過ぎが収まるのかどうか、半分株を分けて対照させてみるのも一案かもしれないと思ったものの、環境要因では無いだろうなあ。

             

さらってうめた 2

2020-09-15 | 感じるままの回り道
 沈泥池掘削部が水没してしまったから泥浚いは終わりにするつもりだったのだが土を運んだ食草園の一画を均してみたら不足感がある。取り立てて急ぐ作業でも無いものの来春の植生復活状態を考慮すると、今の時期に土を運んだ方が「適切」と思われたから足場板を水没面に渡して一輪車数杯でも浚渫する事にしたのだ。足場板を据えなくても立ちこみで作業は出来るけれど長靴が泥土に捕られて移動し難くなる。

 足場板の上なら長靴の運びは楽になるもののバランスのとり方が難しくなるから、まあ一長一短てことになるだろう。それでも足場板を選択したのは長靴の側面が切れていたからで、長靴も使用一年ほどで駄目になる。切れ目少しならゴムパッチで補修もするけれど同じ部分が切れる傾向があってパッチの継ぎはぎが結局は周囲にストレスとなり切れ目が伸びていくのだった。
 そんなことでフイールドの表層は浚って埋める事が可能だけれど長靴ではパッチを剥いで継ぐ羽目になるのだった。でも「それでバッチリ!」なんて事にはならない…。

 泥土を運んだ部分を平鍬で均した後に、たまたま幼稚園の行事で案内された一行にガイド役が「イノシシの堀跡です」なんて説明が聞こえた。その真っただ中に一輪車で浚渫土をぶちまけた小生も小生であるがガイド役はさぞ極まりが悪かったことだろう。まあ、均した小生が眺めてもイノシシ様の荒らした風にはみえるでのう。
 意地悪爺さんした訳ではないけれどお互いタイミングが悪かったし、かのガイド役にしてみれば「浚渫土を客土する」なんて行為は想いもしていない活動だろうし目利きが足りず説明がありきたりだったし、と言えるだろう。いーやいや「蟻、来たり」でなく「爺、来たり」だったのだがまあ、ガイドの恥はかき捨てで良い。所詮、虚空に消えていくだけの音声で実態は無い。
  
             

今日のトンボ「クロイトトンボも終息期」

2020-09-14 | 小父のお隣さん
 水域に立ち入って抜去除草していると水面近くを生活圏にしているクロイトトンボがよく見える。このトンボ、視認しにくい事もあり訪れる人たちで気づく人はまずおらず、トンボに関心があっても視線の先はシオカラトンボやショウジョウトンボなのだ。そんなことで生息を知る人は10指足らずであろう。

 終息期を迎え数を減らしているけれど水面を観察すれば複数体見られるし繁殖行為もしている。どちらにせよ9月下旬には見られなくなるだろう。今期の写真アップもこれが最終個体のつもり。
 見納め日を確定するには連日、そのために観察しに行かなくてはならずそこまで気合は入らない。初見日は高揚するものの見納め日は紅葉と同じく何時からかは知らなくても良いのだ。気が付いたら「消えていた」程度で、この時点ではまた発生するか絶滅かどうかも分からない。だからこそ次期の初見は嬉しい。

      

蜂満総社建立16「丸胴巣箱も加える」

2020-09-14 | 何よりの楽しみ
 高床式の蜂満総社なので床下の活用も大事だ。ここは廃用放置になったニホンミツバチの丸胴巣箱を持ってきた。空洞にベニアを入れて二段にし、中に棕櫚繊維を軽く詰めてベニアで両端面を塞ぐ。一枚板でなく、瓦を葺くように敢て二枚重ねにしたのは隙間が欲しかったからで下側は2cm程の隙間を作り出入り口になる。トカゲでもなんでも入って構わないけれど、想定上は蛇の越冬場所のつもりだ。それもご執心のシロマダラである。

 高床の下にすんなりと収まるかと思ったものの外側の瘤が邪魔して入らない。後日、手斧で削って調整するしかないだろう。入居するのかしないのか、こればっかりは「あなた任せ」だ。

      二層にした  ➡   二枚重ねで閉じる  ➡   瘤で収まらない

フイールド活動、自転車操業的の本質「動的平衡」

2020-09-13 | 温故痴新
 フイールドでの作業は「自転車操業だ」と常日頃からボヤキとして自嘲として、また実感として折々に沁みてくるのだが深く考えた事はなく「そういうもの」と言う認識に近い。体力が健在の頃は「楽しみ」であっても老化が進むと「年寄りの脂汗」、つまり苦行に思われてくる。
 それならば「フイールド作業は中止」とすれば解消するかと思えど、少ない年金だけの高齢者では日常の活動や生活の中に断固存在し主な活動が交代するだけである。要は「おまんまどうする!」「慶弔費どうしよう?」等々、切っても切れない生きる事自体そのもの、日々すら自転車操業なのだ。

 書籍購入費が無いから就寝薬代わりに借りだした本を読んでいるのだが、たまたま読んだ中に「そう言う事か…」と思わせる箇所があったのだ。「働けど働けど 我が暮らし 楽にならざり じっと手を見る」と同じく「手入れをしても手入れをしても不可避的に破壊は進む」フイールドの現実は「エントロピーの増大の法則」でかたがついてしまった。
 福岡伸一著「動的平衡」木楽舎(2009)P245にあった箇所を引用すると「秩序が欲しいが、すべては乱雑さが増大する方向へ不可逆的に進み、その秩序はやがて失われていく。」また「生命はそのことをあらかじめ織り込み、一つの準備をした。エントロピー増大の法則に先回りして、自らを壊し、そして再構築するという自転車操業的なあり方、つまり『動的平衡』である。」云々。それを可能としているのが水の循環なのだとか。どーりで小生が「水辺」に縛られている理由の一端が判ったようにも思えた。

 小生の作業は著作の生命活動とは異なり現実の「後追い」で「受動的脅迫」や「自縛霊」めいたものなのだが大枠で異質感はない。その上、「子、川の上に在りて曰わく、逝く者は斯の如きか。昼夜を舎かず」(子罕第九)や、誰もが聞いた事があるだろう「色即是空 空即是色」と我が観念は繋がってしまったのだ。「虚無」としか思えない深宇宙さえも「動的平衡」のダイナミックな寂世界と言え、神羅万象「動的平衡」で済ませられる感覚がある。もちろん環境多様性維持や、それによる種の保全もそうである。敢て言うならば「動的平衡」を織り込み済みでなければ「絵空事」にしかならない。

 正しい見解か認識かはどうでも良くて自己覚知ゆえ、すべては己に帰する事で、これが明日のエネルギーともなればバカボンパパのように「それでよいのだ」。著作の「動的平衡」は興味をそそられ面白い内容であったが、小生に話を戻せば「慟哭的閉口」で、やはり自転車操業は解消しないものの現実は何も変わらなくても納得できる時もある。それでも地球は回っているしボヤキは続く。
 ああ、なんともな人生である事よ。明日も泥水の中、四つ這いで草抜き作業だ。誰か「なんで泣きはる泣いてはる⁉よしよし。」と言ってナデナデして欲しい。禿げ頭の二度童でも…と思ってしまう。
 が、「気持ち悪っ!ヘンタイッ!」って言われるのも認識できておるからやはり結果は「慟哭的閉口」なのだった。いいや、道徳的閉口なのかもしれん。まあ、道徳的屁ッコキなら姥捨て山を下っても受け入れてもらえるかも。お粗末。

さらってうめた!

2020-09-12 | 感じるままの回り道
 「さらって埋めた」では犯罪で小生にはそんな気力も体力も無い。「沙羅って梅田」なんて言えるほどモテるはずも無く「結局は丹兵衛どん」なのだった。この「結局は丹兵衛どん」とは郷里で使われていた「結局何ともならんかった」などの時に使われる自嘲嘲笑めいた結果の言い方なのだが語源は知らない。そんなこんなで小生的には「浚って埋めた」しかありえないのだった。

 食草園の一画は隣接した第二トンボ池より低く、第二トンボ池が「天井池」になっている部分もあって、池の設え当時からその解消が課題でもあったのだ。しかし埋めるための土砂の手当てが出来ず現在に至ってしまった。それが今回の沈泥地の泥浚いと泥水池の3の水域抜去除草で陸揚げした土付きの根塊を投入する事で、ようやく必要量が確保できたのだった。
 運び終わったこの日は台風9号の余波で34℃の蒸し暑い日になった。沈泥池の泥上げ場から最終の泥土を一輪車で運び、仕上げは陸揚げした土付きの根塊を運んだ。この土付きの根塊は積み重ねられ水切りさせていた事もあって、既に植物体の腐臭が強くなっていた。まあ、客土とは異なり低い部分への投棄に近く、周囲の食草や食樹の根に障るような距離でも無いから大丈夫だろうし、おっつけ威野志士様らが掘り崩し、やがては表土へと還っていくだろう。
 前回までの埋め立て   ➡    浚渫土と土付き根塊で必要量調達


 沈泥池は半分ほど泥浚いしたところで台風9号による降雨で水溜りになってしまった。こうなると水分を多く含み浚渫し難いのだが、泥上げ場の水分が抜けた浚渫土をも掘り出して運んだため長柄のジョレンで浚渫しながら泥上げ場に集め水が切れれば、また用土として役に立ってくれるはずである。
 沈泥池本来の役割は水域内への土砂流入を防ぎ浅くなるのを防止するための設えだけれど、他に採土場の無いフイールドでは泥土のリサイクル場にもなっていて、ここで得られた土が畔や堤の補修に役立っているのだった。
                    前回の浚渫部は水溜り   ➡    土上げ場を開けた

吸汁晩餐会

2020-09-11 | 小父のお隣さん
 残暑の頃になるとアブが出てくる。朝一で駐車場に到着すると「温熱」を感知してか車体やタイヤに群がる。それだけなら気にも留めないけれど作業中に寄ってこられると作業にならない。周囲を飛び回り隙あれば吸血される。吸血されれば痛いし痒いし傷の治りも遅いのだ。そんなことからこの時期は蚋とアブの捕獲に使って迷惑を解消する道具として柄を1尺ほどにした子供用の捕虫網を腰に差す。煩く周回するようなら捕獲して蚋は潰す。
 アブに対しては潰さず、父が牛に群がるアブを捕まえては翅を千切り放り投げていたのを踏襲している。理由を聞いたことは無いけれど「お仕置き」だったのだろう。

 この日も周囲を周回するアブが五月蠅く捕虫網の出番となった。アブの翅を千切って放り投げてみたものの蟻の餌にするには忍びなく、先日の映像が記憶にあったから「吸汁晩餐会」に参加させてもらった。泥水池の水面に放り投げたらほどなくアメンボが群がってきた。数日前にたまたま観察したカメムシほど群がらなかったけれど、これは水域の違いからだろう。
 アブの触感は体液豊富なように思えないけれどアメンボが群がり噴口を突き立てているのだから多少は吸えたのかどうか、晩餐会を遠巻きに眺めてた小生には解からない。