トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

沈泥機能の回復をせにゃー

2020-09-11 | 水辺環境の保全
 今期の梅雨はダラダラと長梅雨だった事もあり沈泥池がすっかり埋まり「沈泥池」としての機能を果たせなくなったしまった。それは基準水面より泥土が上になったためで、普段のチョロ水流入水でさえ表層を流れオーバーフローし水生生物の生息すら出来ない環境になった。この状態でヤゴなどがどれだけ生息しているか確かめる気も無いものの、秋の長雨の到来前に機能回復は必須である。
 とは言え夏草が繁茂した状態では浚渫は出来難く、まず刈り払って泥土を露わにしなくてはならない。刈り払いは刈り払い機が楽だけれど集草が厄介だし、面積も広くは無いから手鎌で刈り取った。

 この後は長柄のジョレンで泥浚いとするけれど、浚った泥土は食草園の窪みに運び林床を均したい。客土効果もあるだろうから食草。食樹の生育にも寄与できるだろう。

            ➡    除草終了

 泥水池の除草が終わらず数日空けての作業となった。それも台風9号10号の影響を考えてのことだ。進路はどうでも降雨は間違いなさそうなので、出水するまでに沈泥池の泥浚いを済ましておかないと役に立たない事になる。
 夜半、お湿りがあって多少は涼しいかと思われたこの日、予想に反し33℃超えになった。さすがに連続の泥浚いは身体に堪らないものの浚渫土を一輪車に盛り食草園の窪地に運んだ。浚渫と運搬を交互にやれば効率は悪いが身体的には楽になり、運搬作業で呼吸を整えられるのだ。結局、この作業も途中で帰宅。まだまだ先は長い・・・。

                まず流入部   ➡    沈泥部の浚渫
                  

今日のトンボ「赤い縁紋のマユタテ」

2020-09-10 | 小父のお隣さん
 珍しいというタイプでもないが赤い縁紋は好みのタイプなのだ。マユタテアカネは盛夏の頃からボチボチ目につくけれど大っぴらに日向まで出ていない。早期では木漏れ日のある環境が好みのように思える。今期は隣接池で早期からテネラルを見ることが出来た。マユタテアカネの産卵用にと設えた池でも無いのだが羽化直後の未熟体が一番目についた一画だった。

 9月に入ると次第に明るい水域付近で認められるようになったが、入れ替わるようにキイトトンボは姿を消して、クロイトトンボの個体数も僅かになっている。これからのイトトンボはオオアオイトトンボ一種とマユタテアカネが最終生き残り選手権を争うのだろう。
 それにしても「眉たて」と雅に言うけれど、小生的には豚の鼻穴にしか見えない。根が百姓育ちだもんでごめんね。
            

水路の除草

2020-09-10 | 水辺環境の保全
 9月に入っても熱帯夜、真夏日が続いている。一雨も二雨も欲しいところに来たのが9号、10号では皮肉を通り越している。「過ぎたるは猶及ばざるが如し」で、このような降り方では「もう結構です!」と言ったところでお終いにはしないだろうし、降り始めて喜んだのもお湿り程度だったりと経験則が役に立たない。これも「新しい生活様式」を促す一面なのであろう。要はコロナだけでは無い、という事。
 山形だったか福島だったかに「観天望気」で翌年の農事作業の予測をし頼りにされている方がいたはずだが、こんな状況でどう予測を付け農業生産に生かしているのだろうか。それとも翌年の「観天望気」は無駄になってしまったのか、少々気になるところではある。

 ここフイールドでは空模様には関係なく水辺の植生は元気で油断すると瞬く間に水面を隠してしまう。こうなるとトンボは飛翔しなくなる。おおむね水面の開いている領域に飛び去ってしまうのが常なのだ。泥水池の除草も佳境に入ったが、全く水面を隠した部分がまだ残っている。№2と3を繋ぐ水路なのだ。大半はカサスゲで水面から3尺も背を伸ばして覆ってしまう。多少とも隙間を作っている部分はウシノヒタイが繁茂している。どちらも手抜きで抜去対象なのだが、ミソハギの中にはキシュウスズメノヒエが茎を伸ばして這い上がり除草を一段と手間を喰うようにしてくれた。

 愚痴は言うまいこぼすまい全て自らの結果なのだ。進むも退くも胸先三寸、自己決定権がゆるぎなくあるとは言え、こぼしながらもズルズルと汗水泥水まみれの今日も作業だった。この水路に漏水孔があるのは間違いないのだが、護岸丸太を外して漏水部を露わにし漏水孔を出来るだけ長く潰さないと早晩、ズガニやイモリ、サワガニなどが貫通させてしまうだろう。だが、その作業が毎日続く暑さの中では行いたくはない。この頃は「易きに流れる」傾向顕著で気象状況も同じ・・・。

                ➡   

今日のトンボ「キイトトンボ、今期の見納め⁉」

2020-09-09 | 小父のお隣さん
 泥水池水見回り中に発見したが、八月末頃から確認出来ておらず既に今期は消えたと思っていたキイトトンボだ。撮影したくてもケータイしか携行しておらず、これで撮ってもPCに取り込むことが出来なくなっているしメールで送るしかない映像になってしまう。そこで本当はお爺なのだが「ままよ!」とばかり踵を返し車までデジカメを取りに戻った。撮るためには取りにいかねばならんかった。

 発生末期の個体は活発さも無くなり戻った時もそのままだった。こうなると「武士の情け」ストレスを与えないように中近2枚撮影してお仕舞。これは「無事の情け」なのだった。恐らく、この個体が今期の見納めかもしれない。旬の頃は「幸福の黄色いトンボ」として歩く周囲を乱舞していたのだ。
 「今はもう秋 誰もいない池 知らん顔してトンボがいても 私は忘れないトンボに約束したから 辛くても辛くても池を守ると・・・」なんちゃって盗作。綺麗な高音だったトアエモアだったか白鳥さんだったっけ。

           

やめられない水見回り、止められない植物テロ

2020-09-09 | 小人閑居して憮然
 水見回りの目的は水域の健全化、絞れば漏水と断水のチェックなのだが植生のバランスも保たなくてはならない。在来種であってもバランスよく共存しているわけでも無いし、水域の規模や目的に適わない植物もあるから区別しながら適者生存を図らなければならない。
 意図が無くても利用者が運び込む代表格が駐車場にしぶとく発生してきたワルナスビだが除草剤をスポット噴霧している事で抑制効果がある。この頃、頻繁に認められるのが水域に投入される動物・植物体だ。数年前はウシガエルを三日月池と上の池に放流され駆除に多大な労力を費やしたが、産卵期まで生存させなかった事から翌年から鳴き声を聞いていない。

 植物体は過去、ミズキンバイやミズオオバコなど在来種を投入された事があったけれど、在来種と言えども繁殖力旺盛で水面を覆いつくす様な種は「百害あって一利なし」で環境破壊植物に他ならない。ところが今期は外来種のアマゾントチカガミなのかドワーフフロッグビットなのか判断がつかない浮草を早春に水域にばらまかれた。あろうことかトレイル脇の水槽にまで投入している。これは気が付くたびに掬い上げ排除していたが、今回、上の池でS先生が発見したのはオオカナダモだった。オオカナダモは既に市街地の流路にまで侵出しているから購入せずとも入手できる外来種だけれど、小さな水域に投入されて繁殖された暁には水域の生息機能が働かなくなる。オオカナダモのための水域になりかねないのはお約束になってしまう。

 どういう理由で投げ込んでいくのか知る由も無いけれど、丸めて投げ込まれれば排除する側は、そのために泥地内に踏み込まねばならない。水槽内の駆除とは全く異なる手間を要する。今回は早く気づいて、長靴で入れた深さだったが、既に茎の何カ所から発根し底の泥中に根を下ろしていた。白い細根は切れやすく完全には取り切れないから今期だけでなく数年にわたって観察していかなければならなくなった。こういう輩は頭から泥土に突っ込みたい。ホント血圧急上昇する。

 水域最終区の泥水池4にはヒシを容認しているが、これはチョウトンボを呼ぶための仕掛けで、今期チョウトンボは飛来したが上の池だった。でもこのヒシにはマルタンヤンマが度々産卵に訪れている。だたこのヒシ、やはり誰だか不明なのだが実を採って上の池から順次投げ込んでいるのだ。最終区で発生している限りは水域の上流で繁殖する懸念は無いのだが思わぬゲリラのテロ行為でおちおちしていられないし目視できれば抜去しているけれど脅威はヒシヒシと感じるのだ。例え一個の種子でも晩秋には池全面を覆うほどの繁殖力がある。こうなると水域環境は悪化するだけなのだ。

 数十年も前の話題と言うかニュースに上がったのに「花ゲリラ」なんて行為があったが、それとこれとは環境に与える影響は比較にならなず、犯罪だろうから市中曳き回しの上、公開百叩きにしてほしい。

     オオカナダモ、こんなのが4株         アマゾントチカガミかドワーフフロッグビットは数知れず

辟易・ボロボロ、美泥でよろめき・・・

2020-09-08 | 感じるままの回り道
 連日の熱帯夜で真夏日、作業開始時間には30℃に達しているのが当たり前のこの残暑なのだ。炎天下作業でも刈り払いの方が体力的には楽ではあるけれど、優先順位と言うと「水域の除草」がトップである。「刈り取る」だけならまだしも「刈り取らないで根茎さら抜き取り陸に運ぶ」作業は思いのほか重労働で、濡れて泥付きの根茎と植物体は抱える事が出来ないだけに、その上、泥土に足を捕られて動き難いし、ややもすればバランスを失して「沈!」なんて事もありうる環境なのだ。そうなれば読んで字のごとく、見てご覧のごとく、まさしく「チン没!」間違いない。
 まあ、細かい泥土でパック出来たと思えば活性化するかもしれん。そうなればまさしく「沈々Go」である。


 泥水池の中でも№3は面積最大で手間がかかる池でもある。現在の水深はオーバーフローすることなく浅い水溜り状態なのだが、水深より泥層の深さが勝っていて、水域の終段の池である事もあり泥層の粒子は細かい。それゆえに足を踏み入れれば抜くのは難しく、厚手靴下を重ね履きして長靴が脱げにくい様にしても抜くには気が抜けない。だから途中で嫌になって一挙に片付ける池にはならなくて、今回も3日目か4日目の作業で大方が片付いたのだった。年々、作業終了までに時間がかかっているのが自覚できる。

 この№3が満水位にならず下段の№4ヒシ池が満水でオーバーフローしているのは途中で漏水しているからで、見当は「何時もの場所」に違いない。水路の除草を行いつつ探し当てなければならず、まだ水域の半分しか除草していない。まあ、女装する方が易しく楽であろうて。
 写真左下の幼樹は標本樹として植え付けたマルバチシャなのだが小さくても樹齢は10年はあるだろう。既に結実した兄弟樹があるのにこの大きさなのはいじけてしまったからに他ならない。池が凍結すると法面から氷面に降りるための手掛かりにされ凍結期が来るたびに抜かれていたためである。小生もすっかり気を害してご一行様とは断絶し水域入域お断りだ。

 保全を害する傍若無人の振る舞いをすれば「しっぺ返し」が来ることなど思いもしない「環境教育」とはなんだろうね。まあ、これも巷にあふれる「エセ」の類なのだろう。永田にも溢れかえっているけれどこれは「卵が先かニワトリが先か?」の大命題でもある。民主主義と言っても劣化もするし衆愚政治に至るか強権政治に至るか知らぬが「愚の骨頂」には違いない。
 水域の経過を観察していても、泥土が溜まり環境を損なう植物が侵出し勢力拡大、やがては泥池から乾燥地化しながら藪となっていくのは人間社会とそうは変わらん・・・。

 先進国から「マスクは自由だ!」「差別も自由だ!」「銃所持自由!」なんてデモがニュースでもたらされているが、ホント明解先進国民醜自由主義である。資本主義も共産主義も歴史的実態が明快な今日、「新しい生活」を「宇宙船地球号」として解く哲学は出てこないもんかね。こういう時代だからこそバイブルが必要だ。
 ベースになりうる近似の書籍、大作が二種ほど出版されている記憶があるのだが「近いところから忘れる」小生になった。銭を惜しまず購入しておけばよかった。たとえ「積ん読」だったとしてもだ。

          

今日のトンボ「なかなか撮れないオニヤンマ」

2020-09-07 | 小父のお隣さん
 オニヤンマ自体,群れて飛翔するタイプではないし飛行範囲も広いので時折「やあ!」と視線を送る間柄でしかない。会釈を返してくれることはまずないのだが不思議な事は時たま小生の正面でホバリングする時がある。
 それも目の高さで距離は1m前後の近さなのだ。スズメバチはもっと近くまで寄って顔面に羽風を感じる程度まで近寄るが、さすがにオニヤンマはそこまで接近しない。攻撃能力は無いし、そもそも小生は餌となる対象でも無いけれど何かを感じるのだろうと思っている。
 悪代官風に言えば「愛い奴じゃのう!」の台詞も出てくる。名前はオニヤンマでも東の女将や西の女帝のイメージは全くなく、ヘップバーンの魅力、と言っても判ってもらえまい。写真の個体は産卵管が見えないからオスだと思われるがオスメスは頓着なし。

 パトロールは見ていても撮影できていないトンボの筆頭がオニヤンマである。これが愛好家なら高性能カメラで飛翔中も撮る事が可能だろうけれど、小生のバカチョンでは静止状態でないとまず無理なのだ。その上ピント合わせが遅くジコジコともたついてから合焦するからチャンスも逃すことが多いのだ。今回ようやく撮影出来たのはたまたまの偶然絶後で立ち話していた先に止まってくれたのだった。せっかくの機会を「撮った!」はずなのにやはり焦点が甘い。焦るという字と焦点の字は同じなのも不思議ないにしえである。まあ、近くにいても遠い存在、そんなところがオニヤンマなのだが少年時代は捕獲に夢中になったトンボの代表格だったが、今は見送る事が全てと言ってよいトンボになった。ヘップバーンも鬼籍に入って久しいしなあ・・・。

                

厄介な泥水池の除草

2020-09-06 | 水辺環境の保全
 蜂満総社の建立やコナギの抜去に明け暮れている間に泥水池にはイネ科の植物が大繁茂してしまった。例年、除去に苦労するキシュウスズメノヒエなんて細腰の植物ではなくイヌビエほど太い茎を持たないものの密生するイネ科の植物だ。この植物の厄介なのは見た目はスッとした姿でも細葉の縁には肉眼では認められない微細なギザギザ、ススキの葉のような鋸状なのだ。
 素手や素肌を露出して除草作業を行えばほどなく肌はあかぎれ状態になってしまうほど強力だ。真夏日、炎天下の作業と言えど半袖では作業は危なく、ゴム引き手袋とアームカバーは必須である。それでも植物体には触れたくないから4本鍬を打ち込み根こそぎ排除しなくてはならない。

 鍬を打ち込み前後に摺動させ根の張りを緩めて引く出すのだが土を抱えた根塊は重い。これを引きながら泥土の中を移動し陸にあげる。この作業を数回繰り返しただけで着衣は汗まみれである。根塊が抱える土を落す手もあるものの、浚渫の助けもしたいから、敢て土付きのまま陸にあげるのだ。上げても半分以上は植物体だけれど、土の部分を集めれば客土に使えるし窪んだ林床部に運べば均す助けにもなる。だからこそ手間は省けない宿命だ。

 泥水池3の抜去は泥土層が厚いから根塊ごと引き抜けたが泥水池4と5は泥層が薄く基盤層に根張りが入っているから抜去は困難で、結局は稲刈り鎌で水底近くから刈り取った。それも刈ってもその都度取り上げる状態ではなく絡み合っているから、草のロールを巻き取る要領で捲りながら転がしながらの除草になった。これはこれで草体が大きく重くなるから汗の噴き出るのは止みようが無い。除草面積は僅かでも作業続行は嫌気がさしてシャワーの誘惑に魅かれて帰宅だ。

   ➡    泥水池3の除草、泥付き根塊、重くて引き上げ作業も息絶え絶え、終了させてない

                 ➡    泥水池4,5の除草終了

**夏の日の故意

2020-09-05 | 性向有毒の翁なれば
             小さな虫の大きな翅音
                    猛暑の昼の静けさよ ハアコリャコリャ

             見えぬウイルス大きな波紋
                    夜の盛り場灯り無く ハアコリャコリャ

             その為だけに長居をしたの
                    メダルひとつは欲しかった ハアコリャコリャ

             頃な頃なと転んだ末に
                    エンフル出てくりゃもう絶叫 ハアコリャコリャ

             深謀遠慮案中偽策
                    政界毎度の蛮禍かな ハアコリャコリャ

             何を根拠のピークになった
                    専門会議の愚弄ぶり ハアコリャコリャ

             二波か三波か判らん会議
                    出来るはず無し具体性 ハアコリャコリャ

             会員獲れとノルマを課して
                    投票不要の筋の無さ ハアコリャコリャ

             空白置かぬと始末を急ぎ
                    解散するたあゲスばかり ハアコリャコリャ

             コロナ対策戦争ありき
                    こんな愚郎が教育長 ハアコリャコリャ

             小人飾る言い訳辞任
                    アホの☆付けもう一つ ハアコリャコリャ

             何をさておき肩書欲しい
                    数に頼った傀儡さえ ハアコリャコリャ

             収監されても満額歳費
                    おいらコロナで宿も無い ハアコリャコリャ

             ドン出しジャンケンどんだけ邪険
                    コロナ対応後手の距離 ハアコリャコリャ

             覗き見番組自死さす作り
                    万眼尖言安全圏 ハアコリャコリャ



吸うやつが吸われてる…

2020-09-05 | 小父のお隣さん
 棚田部に黒い塊が見える。なんだろうと思い寄ってみるとアメンボウの群れだった。もうアメンボウてんこ盛りとでも言って良さそうな状態で、運動会で大嫌いだった「棒倒し」を思い出してしまったのだ。まあ、この現場は棒倒しではなくボウ盛りだったのだが・・・。

 さて吸汁されているのはなんだろう、トンボかと思ってイヌビエの茎で突っついてみたらカメムシだった。どちらも吸汁タイプの食生活、運が良かったのか悪かったのか、カメムシにとっては因果応報というところだろうが、立場が逆転してもカメムシはアメンボウなど見向きもしないのではあるまいか。そもそも吸うべき体液があるようには思えん。

 そこで思い出した「昆虫食でカメムシは独特の風味」があると聞く。あの臭いを思い出しただけで食べる対象には考えもしないけれど、今期もセミを食べてみる事は叶いそうも無い。小生宅にはから揚げに供するほどの油は無く、セミやカブトムシなどの昆虫も少ない夏なのだ。残暑だけはたっぷり有り余る、そして長続き・・・。
 アメンボウは「飴の香り」がするからアメンボウと名が付いたとか。食べて美味しいかどうかより噛むと歯に挟まって困るような気がするからアメンボウも食べたい昆虫ではない。

 昨日のニュースに「都内の公園にセミを獲らないでください」との張り紙が出されたと言っていた。真偽のほどはともかく「在り得る話」として聞いた。PCやケータイ、スマホが普及してから雪崩を打って右往左往する傾向があるように思える。節度を持った「蝉取り」を訴えていたものの、そういう事が通じる輩でないのが判っておらん。
 永田町界隈の報道などでも「一方的に喋らしている」内容ばかりが目立つ。報道関係者もあっちも誰を代表して居るのか判っておらん。少しは民草の言いたいことを突き付けるマイクはないものか。

                 

池の穴、アナ、あな、アヤチュウチュウ コヤチュウチュウ

2020-09-04 | 水辺環境の保全
 突然に思い出したまじない言葉、まだ続きがあるのだが出てこない。なんのまじないだったのか遠い記憶の地平線である。 

 さて上の池、オーバーフロー部脇に漏水部が現れて久しい。補修を要する状況だったのだが「穴ひとつで大掛かり」になるため放置症状だった。流入部も大きくなってきたし、このまま放置すれば更に大掛かりな造作をしなくてはならない。いよいよ限界だと思って一輪車に道具一式を載せて現場に行った。
 とりあえず漏水を止めるには土嚢1袋を押し込めば事足りるけれど完治術ではない。おっつけ周囲から漏水が始まる。この漏水は昔の作業で水位を上げるために丸太ダムで堤を形成し、その後、丸太が腐食し痩せて漏水の原因となって、それを排除した時に外せなかった丸太に沿っての漏水孔のはずなのは経験則で判っている。

 案の定、埋没していた丸太を取り除くと丸太に沿って流路が出来ている。予想のように流入部だけ土嚢を押し込んでも付け焼刃みたいな物だった。漏水孔は更に先に延びているけれどこの部分だけ処理すれば大事には至らない。とりあえず少し埋める長さを長くして土嚢を並べ押し込む事にした。

 用意した土嚢は6袋。これだけあればとりあえずは安心なのだ。土嚢を並べる溝の幅は全て土に置き換えられたことになって上部はオーバーフローするけれど、沈下堤みたいな役割を果たしている。その先は土嚢の壁で、その先外側は丸太ダムで重さによって崩壊を防いでいる、いわば重力式ダムと同じ理屈である。
 たかだか土嚢6袋と思うなかれ。真夏日の屋外で土嚢を作り、運び、積み押し込む作業は汗みどろだ。災害復旧現場で泥浚いしているのはテレビで拝見するが小生では1日持たないだろう。言わば体力・気力・忍耐力が必要な傪力作業なのである。

 土嚢を落とし込み体重を掛けて沈みこませる。これで周囲の壁と密着して水密構造が完成だ。ここに丸太橋の土台となる丸太を据えて半割丸太の渡りを固定できる。山体部との隙間は一輪車2杯の土を投下して均した。

 丸太橋を固定している間にあふれ出た水は流下していく。ようやく正常な状態に戻せた。
 この作業をしている時にヤンマ型のトンボが接近して一瞬ホバリングし目と目が合ったような気がした。腹部末端が紡錘形だったから判明は簡単だと思っていたけれど図鑑を見ると紡錘形の腹部末端の種は幾つかあって結局は不明だ。記録にはあるコヤマトンボかとも思ったけれど写真を撮れなかった以上、小生の認知力では説明は及ばない。それはともかく、補修作業をしたからの出会いであったのは間違いなく、まあ、ご褒美だろう。小生は褒められると際限も無い自転車操業を続けるタイプなのだ。そう、明るい未来への原始力・・・。




レモングラス・レモンバーム・ヤマハッカのミックス芳香蒸留水

2020-09-03 | 何よりの楽しみ
 レモングラスもレモンバームもヤマハッカも単独での芳香蒸留水は体験済みだ。そこで夏傷みしない前に少しずつ刈り取った3種類を鍋に入れて芳香蒸留水を作ってみた。
 蒸留水も出始めの最初と終了間際では恐らく揮発時間や温度の関係で成分や芳香が異なるらしい、のは理屈でも体験的にも感じた事なので100mlの容器に1本づつ満杯にせず同じ量づつ小出しに滴下させて最終的に同量とした。これで成分芳香も3本が均等になっているはずである。

 量はレモングラスが多くて、ハッカとレモンバームは一握り程度の量だ。レモンバームは夏細りだしハッカは匂いが強いから少なめにしたのだ。滴下の初めはハッカ臭が強く次第にレモンの香りに変わった。終了間際では判別不可能な香りに嗅いだけれど、単品の方がすっきり感が出るように思える。

 作ったところで、それで満足している小生だから特段の使い道はシャワーで済ます夏季ではせいぜい拭き掃除に使うかマスクにスプレーする程度だ。四季折り折りの素材を扱ってみて、いわゆる一巡りすれば熱も冷めて道具2式は用済みの予感・・・。

          均等に注いでく         蒸留後

集水路の除草

2020-09-02 | 水辺環境の保全
 慣れ親しんだ集水路を使ったのだが「集水路」は水域掘削当初の役目で、現在では絞り水をため込んでいる環境から隣り沢からの送水が止まっても、ここだけは干乾びない状態にある故「リザーブ水路」あるいは「シェルター水路」としての位置づけなのだ。

 ここも水域や周囲からの植生が繁茂して水面が判らなくなってしまった。こうなると水生生物はともかく、トンボは寄り付かない。除草を行なおうとしたこの日、9時前なのにフイールドは30℃に達している有様で、抜根するための4本鍬や鎌、蚊取り線香や水筒など一式携えて現場に行くだけで汗が噴き出してくる。
 抜去した水域のイネ科の植物は分蘖(ぶんけつ)旺盛で、鍬一打ちでゴッソリ塊で抜去しなければならなかった。重いから少しづつなんて要領を使っても役には立たず、ひと塊で抜去する方が除くには早い。けれども法面の上にあげるのは一苦労で、投げ上げる重さではなく「引きずり上げる」重さなのだった。

 結局、この水路の除草しただけで青息吐息、桃色吐息とは縁のない姥捨て山の真夏日だった。それでも水面が開けばトンボは早速やってくる。今日の第一陣はギンヤンマで一通り飛行して去っていったが、そのあとはいつも通りのシオカラトンボのオンパレードだ。
 跋扈席巻している新型コロナもいつの日にかは流感のような感覚になるのだろうが、ここ泥水池夏草の繁茂ぶりについては、なじみになる事すなわち放棄された結果なのであって環境荒廃の端緒でもある。そのイメージが見えるだけに夏草抜去は体力勝負だけではないストレスがある。

              水面は少ない   ➡    見紛うほどに開けた

今日のトンボ「標高700mの池」

2020-09-02 | 小父のお隣さん
 小生のフイールドとは別の種類が飛翔しているとかねがね聞いていて、歯科受診して中途半端な時間になってしまったから郊外のその山まで車で出かけてみた。「トンボを観たい」と言うよりキジョランを観に行ったのだが「物はついでに」という諺もあるし「一所懸命」では賢明でないし遠慮は無用だった。
 駐車場についてキジョランの場所は不明のままで、池は数百メートルの所だったから最初に訊ねてみた。思っていたより小さく浅い池で、その分、飛翔密度は高いと言えるかどうか微妙に思われた。それでもヤンマ型二種が飛翔していたが、当然のごとく種別は不明で撮影も出来なかったので判明は不可能。

 多かったのはオオシオカラトンボだったが、その中に赤いトンボが数個体いて、連結飛行と産卵もしていた。撮影出来たけれど「トンボ図鑑」と対照してもはっきりしない。翅の付け根に着色があるから「ネキトンボ」風に見えたのだが色合いが薄い。連結飛行していたオスもネキトンボのオスほど赤くなかったような、赤かったような。
 連結飛行中の撮影もできたけれど、お約束の呆け、いいえボケで、やはりここはプリントしてS先生に判定をお願いするしかないか・・・。小生的には「ネキトンボ」しか該当しないように思えても、過去ひっくり返ったのは数知れず、ネキトンボだとしてもフイールドでは今期の出現はまだない。

                    

見事なキジョランだった・・・

2020-09-01 | 蝶の食草園
 以前より「立派なキジョラン」があると聞いてはいたものの、小生が見たキジョランは自分で植え育てたサイズだけなので見当もつかない。「キジョランを用意しなくては」と思ったころから当地近在に株があるとは思ってもみず、自生株を見るためには高尾山に行かねばと思っていたのだった。
 そんなこんなで思案していた頃にS先生から種子を頂いたのが自前苗を用意できるきっかけだった。かれこれ10年以上経過しているが貝化石層を客土したりしても育ちが悪く「こんなもんか」と我慢比べだったのだ。

 ところが先日、Sさんが山のキジョランを写してきてプリントをくれた。フイールドのキジョランとは段違いの成長ぶりで、標高が高いのも成長を促された要因かとも考えたけれど、フイールドの土壌は粘土質で棚田跡なので浅い。高尾山は石灰岩質でキジョランが好む土壌だというのは判っていたので「土壌不適当」も育ちの障害にはなっているのだろう。

 ところが山のキジョラン、管理人の方に場所を教えてもらい見に行ったのだが、ほれぼれするほど育ちが良い。自生株かと思っていたら「S先生お手植え」なのだそうな。それにしても見事な繁茂ぶり。結実しているとも教えてもらったけれど、恐れ多くて近づけなかった。写真を1枚撮って帰宅した。フイールドにもこんな株を育てたーい。
 条件さえそろえばここまでになるのが理解できただけで十分だったのだ。