突然、「ニガウリ」から、世俗にまみれた話題になって恐縮…です。
朝のワイドショーを見るようになって、「これはひどい」と感じたことがある。キャスターやコメンテーターが、さも当然のように「人権」という言葉を多用する。その乱発の裏に、私は、マスコミの傲慢と取材のいいかげんさを感じてしまうのだ。
昨日、東大教授のA氏(憲法専攻)が痴漢容疑で逮捕されたことが、ワイドショーでは微に入り細に渡って報道された。「朝刊早読み」のようなコーナーでは、スポーツ紙の記事をそのまま読むだけで、まさに情報の垂れ流し状態。
A氏を擁護する気は全くないが、東大教授であったことが彼の最大の不幸だったと言えよう。本人が容疑を認めたと報道されているが、先般ヒットした映画のように、まだ冤罪である可能性は残されている。それをプライバシーを含めて暴かれ、「東大教授が…」というように興味本意で報道されて、彼の学者生命は絶たれてしまった。万が一冤罪だとしたら、マスコミは何か責任をとるのだろうか。結局、「報道の自由」を楯にとって、逃げてしまうのではないか。
この教授と同じ日の新聞に、国税庁職員が痴漢と報じられていた。これだけ大きく報じられるのは、公務員叩きの一環なのではないかと勘ぐってしまう。痴漢なんて沢山いるはずなのに、なぜこういう採り上げ方をするのか…。
マスコミの恣意的な報道は、上記のような刑事事件にとどまらない。行政サービスの問題については、一方的な報道をするケースが多い。
例えば、行政に不満を持つ当事者が、「市民の声」と称して、その不備をマスコミに「直訴」する事例も多い。「市民の側に立った」センセーショナルな報道の結果、事実とは異なる「事件」とされてしまうこともある。
そうなると、役所は「組織防衛」に必死である。特に、マスコミが報道した「事件」の場合、その防衛本能は極限までに達する。行政組織は、マスコミ報道には極めて弱い。考えることはただひとつ、責任が上層部に及ばないようにすることだ。組織上の問題点は棚上げにして、冗漫な「調査」を続け、トカゲのしっぽ切りのように現場職員の「懲戒処分」を行う。その他、あらゆる手段を用いて「逃げ」を図るのだ。
マスコミにも役所にも欠けているのは、真の意味での「当事者意識」だ。