澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

姜尚中がスタジオパーク(NHK)に出演

2007年07月23日 22時08分36秒 | マスメディア

以前、姜尚中については、次のように書いた。

 『丸山真男に代表されるように、これまで東京大学の政治学(政治思想史)は、他の大学の追随を許さなかった。最高学府における「思索」の中心という印象が強かった。もちろん、TVでタレントまがいの活動をする教授も皆無だった。
何故、「在日」で「私大卒」という姜尚中が東大教授に選ばれたのか。「韓流ブーム」のおかげでもあるまいし、大きな謎である。人材豊富な東大に適任者がいないはずはない。この人事には、何か隠された政治的な意図があるのではないか。姜の属する社会情報研究所というところが、キー・ポイントなのかも知れない。
… 「在日」プラス「東大教授」を売り物にするというこの男のやり口は、本当にいやらしい。さも「良識」があるように装っても、並はずれた「自己顕示欲」は透けて見える。国家公務員であるなら、本来の職務に専念しろよ!エラソーに日本人と日本社会を批判するのなら、どこかの私立大学に移った方がいい。
でもこの鉄面皮は、次は音楽番組か料理番組にしゃしゃり出そうだな。

先週、姜尚中は、料理番組ではなく、NHKテレビの「スタジオパーク」に出演していた昼の番組なので、当然、サラリーマンは見ることができない。主婦向けという気楽さからか喜色満面だった。
司会者のアナウンサーがパネルを持ち出し、「夏目漱石と姜尚中さんの共通点」というクイズのような話を始めた。漱石が熊本にいたことがあり、姜も熊本出身という話に始まり、ヨーロッパ留学という共通の体験、最後に両人とも「東大教授」だという「正解」が示された。
いくら姜がNHK教育TVで夏目漱石関連の番組をやっているからとはいえ、こんなクイズを考えたのは誰だろうかと思った。NHKの人間が考えたにしても、こんな内容をうれしそうに受け入れるのはいかにも姜らしい。
姜が最もうれしそうだったのは、漱石も自分も「東大教授」だという部分。この人の内面が透けて見えるようで、興味深かった。

番組では、姜の半生も採り上げられた。「在日」に生まれ、両親は「ゴミ回収業」をして、辛酸を舐めた。自分も本名を名乗れず、通称で通していた。ようやく、大学院を経て、ヨーロッパ留学の機会を得ることになり、それが自分の「思想」を開眼させることになった、といういつもの講話が語られた。

差別を受けて苦労したにもかかわらず、刻苦奮闘して今の自分があるという話だが、若干の疑問と違和感を感じた。まず「ゴミ回収業」というが、そんなに極貧だったのかという疑問だ。熊本県立の有名校を出て、早稲田大学政治経済学部政治学科に入学している。当時、地方から東京の私立大学に通わせることはなかなか困難で、経済的理由から断念した人も多いと思う。彼だけが貧乏だったということはないのだ。また、これまで、在学した県立高校で差別されたとかいう話もでてこない。推測だが、普通のサラリーマンより少しばかり豊かな自営業の家庭で育ったのではないか。あの雑踏のような早稲田大学で、当時、大学院に行こうなどと考えたのは、経済的余裕のある連中ばかりだったはず。政治思想史というマイナーな分野で大学院の博士課程に行くというのは、よほど家庭が裕福でなければ叶わなかったはずだ。このあたり自分に不都合な部分は、意図的に隠蔽していると感じた。「在日」「差別」「自己探し」とかいうキーワードは、あとづけのものではないだろうかと疑う所以でもある。
彼が大学入試を受けた年は、学園紛争のため「東京大学」と「東京教育大学」の入試が中止になった。当時「本当は東大に入れたのに、入試中止で早稲田に行ってしまった…」とホラを吹く連中が多くいたが、姜の振る舞いをみていると、そういう連中とそっくりなのだ。早稲田特有の大言壮語と東大コンプレックスというやつだ。

姜の深刻ぶったしゃべり方は、「在日」のコンプレックスというよりも、自身の思想性の無さ、露骨な上昇志向、狂おしいばかりの自己顕示欲を隠すための方便に違いない。この人の場合、「在日」「差別」「刻苦奮闘」「自己の開眼」などは、自己を飾り立てるための小道具に過ぎない。そうでなければ、漱石と同じ「東大教授」ですと持ち上げられて、ニヤニヤしていられるはずはないのだ。こんな人が東大の政治思想史の教授とは…丸山真男先生が泣いているよね…。