澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

ベトナムの”軽い命”

2007年07月21日 21時37分41秒 | Weblog

「日本人でよかった。」
これは、参議院議員選挙東京地方区の立候補者・丸川珠代(自民党・元テレビ朝日アナウンサー)のキャッチフレーズ。
ベトナムに行ってみると、ひねた私でもこの言葉を素直に受け入れることができそうだ。
失業率は5%と発表されているが、週日の日中に大勢の若い男が所在なさそうにたむろしている。大学で日本語を学んでも、日本に行けるような職業に就くことは難しい。病気になっても、日本のような進んだ医療制度はなく、結局、十分な医療を受けることができるのは金持ちだけ。まして、国民年金なんて夢物語…。これがベトナムの現実なのだ。

 日本の障害者教育には、年間、児童・生徒一人あたり1,300万円もの費用がかけられている。障害者の保護者はそれでも不満で、なにもかも無料にしろと言い続けている。弱者の権利だそうだ。
ベトナムでは、義務教育とはいいながら保護者負担が多いので、貧しい家庭は子弟を学校にあげられないという。日本の障害者数人分のお金があれば、ベトナムに小学校をひとつ建てることができて、心身共に健康で将来のある子供達を育てることができるのになあと思った。このほうがよっぽど、人類の未来に貢献するはずだ。

旅行中、年寄り、障害者はあまり見かけなかった。日本では団塊の世代がどうしたとか話題になるが、ベトナムでは戦禍や自然淘汰で、すでに多くの人が亡くなってしまったのだろう。ベトナムのような国に行くと、一国平和主義の日本で「権利だ」「人権だ」と騒いでいる連中の浅はかさが浮き上がってくる。

確かに「日本人でよかった」のだ。残念ながら、国際社会でも日本社会でも、みなが平等で、平和だなんてありえない。
満ち足りた日本にいながら、無分別に他者を批判したり、権利ばかりを主張する連中は、今このとき、この地に生まれた幸運を噛みしめる謙虚さが必要だろう。

残念ながら、国際社会も、日本社会も、皆が平等で平和だなんてありえない。いつも権力や他者を批判して、自国を貶めてきた連中は、この単純な事実を見つめるべきだ。そしてこの時、この地に生まれた幸運を噛みしめるときも必要なのだ。