澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

福田首相と星野監督の「父親コンプレックス」

2008年09月02日 03時24分19秒 | Weblog
突然、辞任を発表した福田首相、オリンピックで敗北してもなお、WBC監督に色気を見せる星野監督、両者は全く違うタイプの人間のように見える。
だが、KY(空気が読めない)というのか、周囲の思惑を意に介さないというのか、意外と共通点もあるようだ。


「突然の辞任は無責任ではないのか」という記者の質問に対して福田首相は、「私は自分を客観的に見ることができるんです。貴方とは違うんですよ!」とその記者に言い放った。
そもそも、辞任の時期が適切だったと自画自賛する会見なのだから、「この人の神経はどうなっているのか?」と思う人がいても不思議ではない。
「すべて他人事のよう」「つまらないことを自画自賛」という態度だけは、終始一貫していたようだ。


一方の星野監督、北京では神妙だったが、帰国後はNHK番組のバックアップを得て、軌道修正を始めた。今やWBC監督に色気を見せ始めている。
この星野がいかに「裸の王様」であるかは、もはや誰の目にも明かだろう。


心理学的に考察するならば、両者には共通性がある。それは「父親コンプレックス」という点だ。


周知のとおり、福田首相の父親である福田赳夫は、東大法学部→大蔵省主計局長という超エリートであった。息子である福田康夫は、早稲田大学→某石油会社という経歴しかない。
「偉大な」父親の前では、「クズ」のような存在だ。父親に自分を対置できるのは、「大局」を見るのではなくて、「細部」にこだわるという点でしかない。このコンプレックス故に、福田は「私は自分を客観的に見ることができる」と言い放ったのだろう。


一方、星野監督は、父親を早く亡くし、自らが「父親像」を形成し、演じなければならなかった。
過度にも見える「演劇性」「出たがり屋」的性格は、そのためでもある。明治大学野球部の「島岡イズム」が、さらに星野の「親分肌」に拍車をかけた。
常に実力以上の自分を誇示したがるという「幼児性」が、星野の真骨頂なのであって、それ以上の人間ではない。これも歪んだ彼の生育歴がもたらしたものだ。


ともかく、この二人、一見無関係に見えても、実は「相似形」なのだ。