澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

「悲情城市」「多桑(父さん)」に見る台湾の悲運

2008年09月24日 23時34分17秒 | 音楽・映画
かつて李登輝氏は「台湾に生まれた悲運」について語ったことがある。1945年、日本が敗戦すると、日本人だと教え込まれていた台湾人は、突然、国民党支配下の中華民国国民とされた。日本式の教育を受け、日本人的な思考方法を身につけた台湾人(本省人)は、大陸から逃亡してきた外省人と折り合えるはずもなかった。その結果、「二・二八事件」の惨劇が生じたのだった。

今回、私たちは映画「悲情城市」の舞台となった九分(”ふん”は、人偏プラス分が正式の漢字)を訪れた。1989年制作されたこの映画は、1945年を境に激変した、典型的な台湾人家族の運命を描いている。

   (「悲情城市」のDVD)


この九分では、偶然、タイムスリップしたのかと錯覚するような老婆に会った。参道の土産物屋を抜け、人がまばらになった坂の上から、その老婆はつえをつきながら降りてきた…。

(九分の老婆)


台湾映画と言えば、もうひとつ印象深い映画がある。「多桑(父さん)」という映画だ。「多桑」は、台湾語で「父さん」と発音する。もちろん、その意味は、日本語と同じ「父さん」である。映画の中の「父さん」は、日本が統治していた頃の古い台湾を懐かしんでいるような人だった。その息子は、父親の気持ちが全く理解できない。父親が東京に行き、皇居を見てから死にたいと言っていたのを、ついに実現させてやることが出来なかった。すれ違いの父子の愛情が、切々と伝わってくるような映画だった。
今回、この映画のDVDを見つけることが出来なかったのは心残りだ。


最近、さほど時をおかずして、中国と台湾の両方を訪れたのだが、両者の違いは歴然としていた。急速に経済発展する大連、瀋陽では、古い建物はほとんどすべて壊され、香港風の都会と変貌していた。街はまるで西部劇の舞台のようで、カネを稼いだ者が勝ち…という雰囲気が漂っていた。一方、台北には、落ち着きと品位が感じられた。何と言っても安心して街を歩けるし、日本人に対して突き刺すような目線を感じることもない。


  (九分「悲情城市」の撮影場所)

かつて日本であった台湾。中国のように「日本軍国主義」を非難するわけでもなく、今なお親日的なこの国を、日本は見捨てようとしている。一体「悲情城市」「多桑」のような映画をどこの国が製作するだろうか。「歴史のひだ」を知り尽くし、「台湾に生まれた悲運」を知るからこそ、作れるのだと思う。その繊細な心情をもっと理解すべきだろう。

李登輝氏のような偉大な人物を生みだした台湾。過ぎ去った古い日本の良さを思い出させてくれる国だ。


  (「悲情城市」の撮影場所)

台湾における日本の建造物

2008年09月24日 14時57分56秒 | 台湾
台北、花蓮に行ってきた。2度目の訪台だったが、最初は李登輝総統の時代だから、もう10年近くなるだろうか。総統府前の路上で、台湾の老人からカメラのシャッターを押して欲しいと言われたのを今でもはっきりと覚えている。
今回は日本統治時代に作られた数多くの建物を撮影してきた。



  (中華民国総統府=旧台湾総督府)


   (台湾大学医学院付属病院
                                      =旧台北帝国大学医学部付属病院)


  (花蓮市が文化財として保存している旧日本人住居)


 (花蓮市内の公園に展示されている旧日本製のSL)


ここには総統府(旧台湾総督府)、台湾大学医学院付属病院(旧台北帝国大学医学部付属病院)、旧日本人住居(花蓮市街)、旧日本のSL(花蓮市内の公園)の4枚をUPした。

この前の週に訪れた大連・瀋陽では、旧南満州鉄道(満鉄)が誇った超特急・アジア号が汚い倉庫に放置され、同時に旧満鉄本社の建物の前には「日本軍国主義」を断罪する「記念碑」が建てられていた。大連の旧ヤマト・ホテル、朝鮮銀行、横浜正金銀行は、さすがに保存されてはいたものの、その隣にはわざと景観をぶちこわすかのように、新しい巨大なビルが建てられていた。(写真下)
 
台湾・花蓮市では、一般の日本人が暮らしていた住居が、市の文化財として指定されていた。もちろん、総督府も台北帝大病院も今なお丁寧に使用されている。(上の写真)

この違いは、何なのか? 日本の敗戦後、台湾民衆は中国国民党の支配下におかれ、「二・二八事件」という悲惨な事件に見舞われた。それ故に、日本の植民地統治をそれほど恨んでいないという説が一般的だ。
だが、大連の街で体験したような、料金のごまかしやサービスの悪さは、台北では全くなかった。花蓮のガイド兼運転手さんなどは、こちらが涙が出るくらいに親切だった。

馬英九政権になってから、台湾は急速に中国に近づこうとしている。日本の良さを知る世代も次第に少なくなっている。それでもなお、こんなに親しみを感じさせる国はないのだ。
たまたま、台北滞在中に李登輝氏が沖縄を訪れたニュースを見た。帰国してみると、「主要な」マスコミはこの訪問をほとんど無視していることが分かった。中国におもね、台湾を見捨てようとするマスコミ、こんなこざかしい連中に「平和」や「憲法」など理屈をこねる資格はあるのだろうかと思った。




(中国・大連市内の旧横浜正金銀行。その裏に建てられた高層ビルは、夜間、全体が巨大な青色のイルミネーションと化す)


(中国大連市の旧満鉄本社社屋の一部)