澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

旅順「二〇三高地」を訪れて

2008年09月17日 03時34分09秒 | 中国

格安ツアーで「旅順・二〇三高地」「満鉄アジア号」が見られるツアーがあるというので、出かけてみた。


旅順の「二〇三高地」は、何の変哲もない丘だった。頂上が海抜203メートルであることから、その名が付けられたという。丘に登ると旅順口が一望できて、軍事上の要塞であったことが了解できる。


頂上には、「二〇三高地紹介」として、日本語で次のように記されている。


「二〇三高地は1904年日露戦争当時の主要戦場のひとつであった。日露両軍はこの高地を争奪するため、殺し合っていた。その結果、ロシア軍は5000人以上、日本軍は1万人以上死傷した。戦後、旧日本軍第三軍司令官である乃木希典は死亡将士を記念するため、砲弾の破片から10.3mの高さの砲弾のような形の塔を鋳造し、自らが「爾霊山」という名を書いた。これは日本軍国主義が外国を侵略した証拠と恥辱性となっている。」


従来の中国側の「日露戦争」認識は、日本とロシアという帝国主義間の戦争であり、旅順口をめぐる攻防では中国人民が犠牲になった、ということだったはず。
しかしながら、上記の説明文では、一方的に「日本軍国主義」を断罪する内容となっている。これも江沢民以来の「反日教育」の「成果」なのだろうか。


「二〇三高地」は、今や日本人とロシア人の観光客を見込んで、物見遊山の場所となろうとしている。そこに上記のような表示があるのだが、訪れた日本人のうち、どれだけの人がその不当性を認識するのだろうか。
私は「右翼」などではないのだが、「日露戦争」に関して、日本が一方的にその非を問われることなどありえないと考える。現にトルコでは、ロシアを破った乃木将軍は、日本人の英雄として教えられているという。


平和ボケで歴史感覚を喪失した日本人が中国に行くと、①一方的に日本の犯罪を懺悔する、②中国人の独善性に反発し居丈高になる、という二つのパターンしかないのではないか、と思えてくるのだが、どうだろうか。

「南京大虐殺」とも関連して、厄介だが、極めて重要な問題であると思われた。


華麗なるマントヴァーニの世界

2008年09月17日 00時53分54秒 | 音楽・映画



9月15日、通販会社「ユーキャン」から「華麗なるマントヴァーニの世界」と題したCD集がリリースされた。

http://www.u-canshop.jp/mantovani/index.html?adid=105

10枚組CDの構成は、次のとおり。
DISC 1 「魅惑のカスケーディング・ストリングス」
DISC 2 「スクリーン・ミュージック&ミュージカル Ⅰ」
DISC 3 「スクリーン・ミュージック&ミュージカル Ⅱ」
DISC 4 「青春のヒットポップス」
DISC 5 「ポップ・クラシカル・ムード Ⅰ」
DISC 6 「ポップ・クラシカル・ムード Ⅱ」
DISC 7 「想い出のポピュラー・ワルツ」
DISC 8 「ラテン&タンゴ集」
DISC 9 「ワールド・ミュージック集」
DISC 10 「不滅のスタンダード・ヒッツ」

上記のタイトルで、全200曲が収録されている。特筆すべきは、「ウナ・セラ・ディ東京」など「世界初」のCD化とされる曲が多いこと。
付属のブックレットは、136頁あり、マントヴァーニのご子息の寄稿、 マントヴァーニの伝記「Mantovani- A lifetime in music」※の著者コリン・マッケンジーが、マントヴァーニのライフ・ストーリーと楽曲解説を担当している。




http://www.amazon.co.jp/Mantovani-Colin-Mackenzie/dp/1905226195/ref=sr_1_2?ie=UTF8&s=english-books&qid=1220982391&sr=1-2


これまで、マントヴァーニの音楽は「イージーリスニング」「ムード音楽」にくくられているため、まともな客観的な音楽評価を受けることは少なかった。だが、今回初めて、その全体像がクローズアップされたと言えよう。

http://www.u-canshop.jp/cd/index.html?link_id=cd1

値段はちょっと高めだが、「ブックレット」の完成度を考えると、ファンとしては購入しておきたいところだ。