「一度も植民地になったことがない日本」(デュラン・れい子著)を読む。スウェーデン人と結婚し、欧州生活が30年になるという著者のエッセイ集だが、率直に言ってそれほど面白い本ではない。
しかし、この中にある「マスターズ・カントリーって何?」というエッセイに記されているエピソードには、いろいろと考えさせられた。
アムステルダムで版画の個展を開くことになった著者は、画廊で南米のスリナムから来たという掃除婦に会う。
「あなたの掃除が終わるまでには必ず終わらせますから、どうぞ仕事を始めて下さい」
彼女は褐色の顔をほころばせ、快くうなずいてくれた。気が付くと、彼女は画廊のソファに座って、私の作品を見ているではないか。もうやる仕事はないらしい。そして私と目が合うとニッコリして、こう聞いてきた。
「あなたは日本人ですか?あなたのようなアーティストは日本にたくさんいるのですか?」
「ええ、いますけれど」
何故彼女がソンなことを聞くのか気になった。すると彼女は哀しそうな目をして、ポツンとこう言ったのだった。
「スリナムからアムステルダムに来て、この画廊で働くまで、私はアーティストという職業があることを知りませんでした」
アーティストという職業を知らない人がいる!私は驚き、それから、このスリナムの女性に申し訳ない気持ちになって、言葉に詰まってしまった。
考えてみれば、アーティストは非常にリスキーな仕事だ。好きだからとはじめても、食べることが満たされる仕事ではないから、先進国の仕事と言ってしまえば確かにそうかも知れない。食べることが優先される国々では、芸術が職業として公認されていないのはよくわかる。………
…彼女は私にたずねてきた。
「私は日本について何も知りません。日本のマスターズ・カントリーはどこなんですか?」
マスターズ・カントリー?私は何のことだか分からず、彼女の顔を見るしかなかった。すると、いぶかしげな私の視線に戸惑ったらしい彼女。
「あ、ごめんなさい。”どこですか”ではなくて”どこだったのですか”と聞くべきでしたね」
まず驚いたのは、マスターズ・カントリー(ご主人様の国)という言葉。彼女は日本がヨーロッパかアメリカの植民地になっていて、マスターズ・カントリーを持っていると思っているらしい。ところが、私が不思議そうな顔をしたので、「昔はそうでしたね」と言い直したに違いない。
「日本は一度も植民地になったことがないんですよ」
説明する私に、今度は彼女の方が信じられないという顔をして、直接まじまじと私の顔を見るのだった。 (pp.86-88)
西欧列強による植民地支配の傷跡は、このように思わぬ形で残っている。白人でキリスト教徒である西欧列強は、世界中を植民地にして、資源や労働力を収奪した。それは、有色人種を下等な人種と見なしてこそ可能な蛮行であったが、幸いにも日本は明治維新を成し遂げ、植民地化を免れた。このことがどれほど価値のあることか、上記のエピソードで改めて実感する。
自国の歴史を他人事のようにあげつらう歴史教師や政治家が今なお多い。彼らは、先人の偉業のおかげで、気楽な戯言を言っていられるのだ。このスリナム女性のエピソードをぜひ一度読んでみるべきだろう。
一度も植民地になったことがない日本 (講談社 α新書) デュラン れい子 講談社 このアイテムの詳細を見る |