澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

漢文と中国語

2011年01月16日 18時04分31秒 | 

 「漢文法基礎 本当にわかる漢文入門」(加地伸行著 講談社学術文庫)を入手。
 この本は、かつて「Z会」で受験参考書として出ていたのだが、「名著」の誉れ高く、最近、講談社学術文庫に組み入れられた。当初、二畳庵主人というペンネームで書かれたこの本の著者は、実は中国哲学の研究者として名高い加地伸行氏である。

 漢文というと、今や時代遅れだと思う人がいると思うが、実はそうではない。中国近代史のS教授によると、東アジア世界の古典はすべて漢文で書かれているので、ベトナムから中国大陸、朝鮮半島、日本に至るまで、その歴史を知るためには、漢文の知識は不可欠だという。それは、ヨーロッパの古典語であるラテン語と双璧をなすという。例えば、ロシア文学を学ぶとして、その古典文学を突き詰めていくと、結局、ラテン語の知識がないと源流に到達できないと言う。同様の意味でベトナム史でも日本史でも、漢文の知識は欠かせないと言うわけだ。
 
 だが、日中国交回復(1972年)前後から、「中国語は外国語である」「漢文は中国語ではない」という政治的な意味を込めた主張が見られるようになった。例えば、倉石武四郎が編纂した「岩波中国語辞典」は、ローマ字配列で単語を並べ、「外国語」として中国語を学ぶことを強調した辞書だった。「漢和辞典」引きの中国語辞典と一線を画したとして、「高く」評価された辞書だったが、漢字文化を共有するメリットを完全に否定した、利用者に壮大な時間のムダ使いを強要するような辞書であったことは否めない。
 さらに、「中国語と近代日本」(安藤彦太郎著 岩波新書 1988年)などという噴飯ものの本も表れた。安藤は、外国語学習に相応しくない「思想性」「歴史認識」といった政治的概念を強調した。こんな調子である。

「日本は古来から中国文化圏に属していたため、明治以降も古典世界の中国語(=漢文)は重要であった。漢和辞典と中国語辞典が別々にあることに象徴される中国語の「二重構造」である。
 注意すべきことに、この「二重構造」は中国認識に対しても存在した。というのは、たとえば中国に旅行して、気にくわぬことに出会うと、やはりシナは、となるが、感心したものを見ると、それが新しい中国に特有な事象であっても、さすが伝統文化の国だ、といって旧い価値観で解釈してしまうのである。」

 この安藤は、早稲田大学教授(中国経済論)で、文化大革命礼賛者として有名だったが、文革終息後は、自らの言説を自己批判することもなく、中国語学習に名を借りて、「近代日本」を批判し、「日中学院」院長も勤めた。

 加地伸行氏のような碩学から見れば、多分、安藤彦太郎など私学の「藩札教授」に思えたことだろう。だが、安藤や岩波書店が唱えた、中国語と漢文は全く別物なのだという主張は、それなりの成果を上げた。大学入試において、漢文を受験科目として科す大学が次々と減少する一方、大学の選択外国語では、中国語受講者の数が、独仏語などを抑えて圧倒的な多数となった。大学で学ぶ中国語とは、現代中国人との会話を念頭に置いた、発音重視の学習に他ならず、漢文とは一切無関係である。
 
 現在、中国大陸の漢人に「漢文」を読ませても、その意味を理解できる人は少ないと言われる。その理由は、大陸中国が「簡体字」を採用しているからというだけではなく、そもそも中国語(漢語)会話と文字化された中国語(漢語)=漢文は、全く別物だったのだ。漢文で書かれた文書は、多民族、多言語の中国大陸を統治する手段として必要だった。事実、魯迅が白話文を提唱するまでは、中国大陸の知識層は、庶民(老百姓)が理解できない漢文を書いていた。

 漢字文化圏に属する日本人は、漢文を再評価すべきではないか、と思う。
 返り点を打って、漢文を読み下すことができれば、漢字の中国語音声など気にすることなく、読みたい文書を理解することができる。その速度は、他の外国語で読む速度よりずっと早く、容易だろう。その利点をわざわざ否定することはないわけだ。その意味で、この本は今でも大いに役立つはずだ。

 

漢文法基礎  本当にわかる漢文入門 (講談社学術文庫)
二畳庵主人,加地 伸行
講談社