この1年間、某国立大学で「国際関係史」を聴講してきた。先日、すべての授業が終わり、あとはテストを残すのみとなった。
この「国際関係史」という科目、今や各大学で教えられるようになり、目新しいものではない。国際関係論を看板にした、「国際なんとか学部」が数多く作られ、その歴史部門でこの科目が必要とされたためだ。この科目を教える教員の出身分野は、政治学(法学部)出身が最も多く、次いで歴史学(文学部)だろう。これからは、国際○○学部の出身者が増えることだろう。
だが、「国際関係史」は、つまるところ歴史(とくに近現代史)を扱う科目。膨大な史料をどのように選び、どう解釈するのか、そして究極的には歴史をどのように認識するかが履修の目的となる。一般の学生にとっては、近現代史の原典史料を読む機会などほとんどないだろうから、教える側の技量が試される。学生に「通史」をきちんと教えられるかどうかが歴史教師の腕の見せどころなのだ。遠い昔の学生時代、私も「国際関係史」「国際政治史」「国際関係論」などという科目を履修したのだが、今思えば何ともいい加減な授業だったので、ほとんど記憶に残っていない。(アホな大学には、それに見合った授業しかないということか…。)
しかし、この1年間、教わってきたS教授の授業は、とても理想的なものだった。特定の教科書は使わず、毎回、手製のレジュメと資料を配付し、学生たちができるだけ歴史の面白さに触れるよう工夫をされていた。毎回、授業の冒頭には、前回までの概略を説明し、史実を説明するときには、必ず地図を板書して解説。前期には、3000字程度のレポートが2回とテスト、後期はレポート1回とテストが科せられたが、レポートの課題やテストは、それぞれの学生が最も関心をもったテーマを複数のテーマから選択して解答するという形式だった。
おそらく、マンモス大学では、こういう授業は不可能だと思う。同じ名称の科目でも、大学や教授によって途方もない落差があると痛感した。
わずか20名程度の受講生しかいないこの授業、充実した、素晴らしい内容だった。これだけでも、この一年は充実していた。