澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

「開かれた皇室」としての秋篠宮家

2019年01月24日 08時48分12秒 | 社会

 小室圭さんが一年以上の沈黙を破って、何やら弁明めいた文章を発表したそうだ。昨日のワイドショーはこの話題にもちきりで、これで「お二人の結婚」はどうなるのかなどと、当たり障りのない無駄話を繰り返していた。

 お二人の行く末がどうなるだろうかなど、私には全く関心がないが、「芸能ネタ」の対象となってしまった皇室の現状については、少々考えることもある。

 かの三島由紀夫は「英霊の声」の中で、戦死者の声を借りて、現人神から普通の人になってしまった昭和天皇を「批判」している。正確に言えば「批判」というよりも、天皇の変貌に対して、違和感を明示している。西部邁は「昭和天皇が平和主義者だったとかいう議論は、あの世界史的な大戦争の意義をかえって薄めさせる」と語っている。
 この二人に共通するのは、あの戦争の戦前と戦後の絶望的なほどの断絶を直視している点だ。

 260万人という犠牲の上に築かれた「戦後」は、「開かれた皇室」をもたらした。皇太子は民間から妃を娶り、昭和天皇は、無事天寿を全うした。激動の戦後においても、皇室はずっと安泰だった。
 ところが、秋篠宮家のもめごとはいま、この安寧を脅かそうとしているように見える。秋篠宮が宮中祭祀に関して宮内庁長官を公然と批判したり、自分の子どもを学習院に行かせず、ICU(国際基督教大学)に進学させているのは、兄に対する、皇室独特の諍いなのだろうか。

 ICUはGHQの肝いりで設立された大学。祖父が大いにお世話になったGHQ。皮肉なことに、そこは言わば「日本の中の米国」、皇室関係の子女が行くべきところではないはずだ。私たちでもわかるそのことを、秋篠宮は理解されていなかったのか。もしかして、「開かれた皇室」とは、”俗受け”を狙いつつ、マスメディアの注目を浴びることだと思い込んだのか。そうなら、歴史・伝統を背負っているという自覚に欠けていると言われても仕方がないのかも知れない。だとしたら、三島も西部もあの世で「苦笑」「失笑」するほかはないだろうか。  




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