澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

「忘れられたヒマワリ~中国“知識青年”たちの闘い」と新彊の植民地化

2011年02月18日 10時52分06秒 | 中国

 またNHKのドキュメンタリー番組を採り上げるが、こちらは番組批判ではない。
 「忘れられたヒマワリ~中国“知識青年”たちの闘い」(NHK BS 2月18日再放送)が放送された。NHKのHPによると、この番組は次のような内容だった。

 (忘れられたヒマワリ~中国“知識青年”たちの闘い)

「文化大革命(1966~76)の時代、毛沢東は都会の若者を“知識青年”と呼び、「農村に学べ」をスローガンに、農村に“下放”した。その数千数百万人。農作業に明け暮れ満足な教育を受けていなかった知識青年らは、その後の改革開放で突如現れた競争社会に敗れ片隅へと追いやられた。
60歳を越えた彼らがいま、失われた青春を取り戻そうと声を上げ始めた。上海出身の張志堯さん(64)は、名門高校を卒業すると同時に新疆ウイグル自治区へ下放され、今もその地に住む。当時の下放通知書には、太陽を意味する毛沢東の周りをヒマワリが囲むイラストが描かれていた。知識青年たちは、太陽に忠誠をつくすヒマワリとされてきた。張さんは全国の元知識青年に呼びかけ、待遇改善や補償を政府に要求する全国大会の開催を決意する。しかし、主催者やスポンサーになってくれる組織がなかなか現れず、政府からは開催の同意が取り付けられない。9月、やっとのことで開催の見通しが立ったが、元知識青年の中から「政府を批判するな!」との声が上がる。はたして張さんは無事大会を実現できるのか。
番組では、全国大会に向け格闘する張さんの半年間を追う。」

 私が興味を持ったのは、張さんというかつての「知識青年」が、当該大会を無事開催できたかどうかではなく、別のところにあった。番組には、新彊ウイグルに「下放」されたという、かつての「知識青年」たちが「我々が何もなかった新彊に文明を持ち込み町を建設した」と口々に言う場面が出てくる。これは、独裁者・毛沢東が「下放」政策を執ることによって、図らずも獲得した「偉大な成果」ではなかったか、と私は思った。
 
 言うまでもなく、新彊ウイグル自治区は、歴史的にウイグル人の居住空間だった。満洲族の征服王朝である大清帝国においてウイグル族は、満洲族と同等の地位を得ていて、決して漢族の後塵を拝する立場ではなかった。清朝の崩壊後、漢族を主体とする「中華民国」が成立し、清朝の最大版図がその領土であると主張したため、新彊ウイグルは「中国の一部」とされてしまった。しかしながら、中華人民共和国(1949~)成立当初は、漢民族による周辺地域への移住はさほど公然とは行われなかった。だが、文革期の政治的昂揚(あるいは狂気)を利用して、毛沢東は漢族の「知識青年」を革命のためと称して、新彊、チベット、内モンゴル、満州などの異民族地域に送り込んだ。これらの「知識青年」たちは、「革命」の美名のもとその人生を無駄にされた、といま嘆いている。だが、それらの地域は、今や漢民族が実質的に支配する漢族の「植民地」となっているのだ。

 文革の犠牲者である「知識青年」は、反面、少数民族に対しては抑圧者として存在したのだという歴史を、このドキュメンタリーの裏側から読みとることができる。もちろん、NHKはそのことに決して触れようとはしないが…。
 何はともあれ、興味深い番組ではあった。

 

   


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