今回のサミットのテーマは、地球温暖化の防止だそうだ。
そんなこともあって「地球環境」という言葉を耳にすることが多いが、この言葉の「物神化」傾向も気になるところだ。実態がはっきりしないまま、これを守るのが「正義」だ、考えないのは遅れた連中だというような風潮がないだろうか。「地球環境」という言葉を水戸黄門の印籠のように使われてはたまらない。
この風潮に便乗するかのように、上智大学大学院には「地球環境専攻」がつくられた。以前「国際関係専攻」で名を売ったこの大学は、今度は地球環境と名付ければ「当たる」と考えたのだろうか。理科系のスタッフ、実験設備等も全くないまま、薄っぺらなパンフレットのようなカリキュラムを組んでいる。
某国立大学大学院で化学を学んだ知人によれば、基礎的な理科系の知識や実験・検証のノウハウがない限り、地球環境がどうしたと叫んでも意味がないのだという。つまり、上智大学のやり方は、野口健とかいうアルピニストが主催する「小笠原環境学校」と変わらないことになる。参加した子供を「環境メッセンジャー」に育てるのが、野口の目的だそうだ。小笠原の海でイルカや鯨を見せて、地球環境を守らなければと教え込む。それ自体は悪いことではないが、それだけでは、教会の日曜学校のようなものだ。
上智の大学院にぴったり当てはまる言葉がある、そう「羊頭狗肉」だ。
「地球環境」という言葉が声高に叫ばれる時は、やはり立ち止まって考えることが必要だろう。誰も反対できない、美しい言葉にこそ、ウラがあるのだ…。