都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
昨夜は十五夜でした。古来より月には兎がいて餅をついていると言われています。月の明暗をよく見ると、兎の餅つきに見えないこともありません。何故、月に兎が住むといわれるようになったのでしょう。
それには、こんな話があります。
昔、天竺(今のインド)のある森で子兎と、狐、猿の三匹が熱心に仏教の修行に励んでいたそうです。ある日、よぼよぼの老人が森にやってきました。
三匹はお客様が来たことに大喜びし、森の奥に招待したそうです。
老人は木の切り株に腰を下ろし、長く白いひげを撫でながら言いました。
「お前たち、森での修行はどうだ、うまくいっているか?」
三匹は声をそろえて言いました。
「はい。食べ物も水も沢山あり、とてもよい環境で修行しています。」
「そうか、そうか。わしはお前たちがよく修行をしているということはすでに聞いていた。その様子を確かめようと老体を励ましてやって来たのじゃ。」
「それは、遠路はるばるやってきて、お腹がすいていませんか?」
また、三匹は声をそろえて言いました。
「腹がすきすぎて倒れそうじゃ。」
老人が答えると、三匹はそれぞれ食べ物を探しに出かけました。
狐は川で大きな鯉を捕まえました。猿は木に登り果物をとってきました。しかし、子兔は何も見つけることができずに手ぶらでしょんぼりと帰って来ました。
老人は子兎に尋ねました。
「狐と猿は食べ物を取ってきたがお前はどうして手ぶらで帰って来たのだ?」
すると、子兔は狐と猿に向かって言いました。
「薪を沢山拾いたいので手を貸してください。」
三匹でいっぱい薪を拾ってきて積み上げました。狐と猿はこんなに薪を集めてどうするのだろうと思いました。
子兔は黙って薪に火を付け、老人の前にひざまずきました。
「獲物が捕れずごめんなさい。どうかこの小さな体ですが食べて下さい。」
そう言うと、止める間もなく火の中に飛び込みました。
老人はすぐに帝釈天の姿に戻り火を消しましたが間に合いませんでした。
帝釈天は手ぶらで帰って来た子兔を責めた自分の行いを後悔し、子兔の遺骸を取り出し狐と猿に言ったそうです。
「私はこの子兔を月に送り、子兔の誠心誠実な心根と自分の過ちを忘れないように、永遠に後の世に伝えたいと思う。」
それから、満月になると人々は可愛い子兔の姿を、月の中に見ることが出来るようになったのだそうです。
人々は満月の中に子兔を見ては、その捨身慈悲(しゃしんじひ)、滅私献身(めっしけんしん)の象徴的な行為に想いを馳せ、わが心のあり方を反省するようになったということです。
たいしゃく‐てん【帝釈天】
梵天(ぼんてん)と並び称される仏法守護の主神。十二天の一で、東方を守る。忉利天(とうりてん)の主で、須弥山(しゅみせん)上の喜見城に住むとされる
大辞泉
これは、『今昔物語集』第五巻第十三話「三の獣、菩薩の道を行じ、兎身を焼く語」という話です。
「今は昔、天竺に兎・狐・猿、三(みつ)の獣ありて、共に誠の心を発(おこ)して菩薩の道(どう)を行ひけり」に始まり、「万(よろづ)の人、月を見むごとに此の兎の事思ひいづべし」で終わる説話です。
この話はインドの神話に遡ります。自分のために自ら火の中に飛び込んで食料となった兎を帝釈天(梵名インドラ)が哀れんで月に祀ったという話がルーツになっているようです。
したっけ。