都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
漉し餡が「おはぎ」で、粒餡が「ぼたもち」ではないのか。
いや、米粒が残っているのが「おはぎ」で、完全に餅になっているのが「ぼたもち」ではないのか。
いやいや、大きいのが「ぼたもち」で、小さいのが「おはぎ」ではないのか。
いやいやいや、全てひっくるめて、高級なのが「おはぎ」ではないのか。
などと、「おはぎ」と「ぼたもち」の違いには色々な説があります。
実は、「おはぎ」と「ぼたもち」は基本的に同じもので、違うのは食べる時期だけなのです。漢字で書くとわかります。「牡丹餅」「お萩」。
「牡丹餅」は牡丹の花に名前の由来があるので、牡丹が咲く春の彼岸頃の名前です。
対して「お萩」という名前は、萩の花が由来となっていますから、萩の花が咲く、秋の彼岸の頃に使う名前なのです。
春には収穫をもたらす山の神などを迎えるため「ぼたもち」を、秋には収穫を感謝して「おはぎ」を作ったとも言われています。
またあまり使われてはいませんが、夏と冬にも別の名前が付いています。
夏は「夜船」、冬は「北窓」です。
なぜそんな名前が付いたのかというと、「おはぎ」の作り方に由来があります。
日本では昔から、正月以外にも祝い事の時には餅をつく風習がありました。
しかし餅つきに掛け声は付き物ですし、音もたてずに餅をつくというわけにはいきません。とにかくペッタンペッタンと騒がしく隣近所にすぐに知れてしまいます。
しかし「おはぎ」を作るなら音は出ません。餅米をつく必要がありませんから・・・。
それをお裾分けに持っていくと「おやまあ、いつの間に・・・。」ということになります。
この「いつ、ついたかわからない」ということが名前の由来なのです。
「夜船」は、搗き知らずから、着き知らずになり、いつ着いたか分からない夜の船となりました。
「北窓」も撞き知らずから、月知らずになり、月の見えない北側の窓という別名が付いたといわれます。
とはいっても、漉し餡が「ぼたもち」で、粒餡が「おはぎ」、と思っていらっしゃる方が多いと思います。ですから、「おはぎ」が高級というイメージが生まれたのかもしれません。
しかし実は、違うのです。餡の材料である小豆の収穫時期に関係があったのです。
「秋のお彼岸」は、小豆の収穫期とほぼ同じで、とれたての柔らかい小豆を餡にすることができます。柔らかい皮も一緒につぶして使うので、「粒餡」ができます。
「春のお彼岸」は、冬を越した小豆を使うことになりますが、皮は固くなっています。当然固くなった皮をそのままに使っては食感が悪くなります。そこで皮を取り除いた小豆を使い、「漉し餡」ができます。
このような理由から、春の「ぼたもち」は「漉し餡」で、秋の「おはぎ」は「粒餡」だったのです。
しかし、今では保存技術の発達や品種改良により、春でも皮のまま使うことができる小豆が登場してしまい、この理由は意味がなくなってしまいました
このように、一年中漉し餡だろうと粒餡だろうといただけるようになってしまった今の時代には、どっちがどっちと言ってもあまり意味がないのかもしれません。
しかし、「ぼたもち」と「おはぎ」の歴史を思い、春のお彼岸には漉し餡の「ぼたもち」を、秋のお彼岸には粒餡の「おはぎ」をいただきながら、季節の風情を感じてはいかがでしょうか。
したっけ。