都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
今夜は十五夜です。でも、今日の天気予報は雨。お月さんはまられそうもありません。
十五夜に因んで、チョッと満月のことを、お菓子のことから考えてみたいと思います。
平安時代に満月のことを月の満ち欠けの真ん中ということから、「最中の月(もなかのつき)」と呼んでいたそうです。
江戸吉原の菓子屋 竹村伊勢が、満月をかたどった「最中の月(もなかのつき )」という煎餅のようなものを作り売り出したといわれています。江戸中期・文化年間のことだそうです。今の最中種に近いものを丸く切って砂糖蜜をかけたのだったようです。「最中の月」とは陰暦十五夜の月(中秋の名月)のことだそうです。
平安時代の歌集『拾遺集』には、「水の面に 照る月なみを かぞふれば 今宵ぞ秋の もなかなりける」とあるそうです。
なお、江戸時代につくられた「最中の月」には餡は入っていなかったそうです。
その後、餡が入るようになり、四角い形のものが売り出され、「窓の月」と名づけられたそうです。昔の人は最中一つに風流な名前を付けますね。その後、丸いものも、四角いものも、単に「最中(もなか)」と呼ぶようになったようです。
余談ですが、この竹村伊勢、思わぬところでおめにかかれるそうです。私は歌舞伎を観たことはありませんが、歌舞伎『助六』の舞台にあるそうです。
雰囲気を演出する小道具として、舞台の上手、下手にこの菓子屋の名入れの蒸籠(せいろ)がおいてあり、正確には『新吉原 竹村伊勢』と書かれているそうです。舞台に配した店の宣伝広告だったのでしょうか。もしかしたら、歌舞伎の大スポンサーだったのかもしれません。CMはその頃からあったとは、興味深いですね。
古来より、月見の宴には日本では丸餅やだんごが、中国では月餅(げっぺい)が供されています。万事に角(かど)がなく円満に、という意味がありました。
したっけ。