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「〝ひふみよいむなやこともちろ″の起源」について考える

2020-12-10 05:44:05 | 言葉

今日は昨日の「大和言葉のひふみよ」の続編です。

大和言葉の数詞、「ひと、ふた、み、よ、いつ、む、なな、や、ここの、とお」の起源について、仮説の領域を出ませんが、幾つかの興味深い解釈があるのを見つけました。真偽のほどは分かりませんが載せておきます。

 

■その1

ひふみよ

 

ここからは宮崎康平氏(ぼろしの邪馬台国)の説である。

数字の「ひふみよ」は干潟の国(肥国)で生まれたという。

ひる、ふゆ、みつ、よると言葉を置き換えればよくわかる。

 

一が日であり、干でもある。

干潟の満ち引きは、太陽(日)のせいと昔は考えたに違いない。

 

二(ふ)は「ふゆる」。潮が満ちてくる段階である。

 

三(み)は「満・みつる」

 

四(よ)は夜

 

一と四はひると夜の対比である。

 

潮の満ち引きは4段階のリズムを持って1つと考える。

 

そのリズムで大潮から小潮へ移っていく。

 

五(いつつ)は、itututuとよみ「移る」の語源かもしれない。

 

この1から4までは、潮の満ち引きのリズムである。

海の民は当然、日々の生活で身にしみているリズムだ。

そして潮の満ち引きは、太陽(と月)の運行によって、大潮、小潮と変化していく。

日本ではっきりしている季節、つまり四季も4つ

古代は、4進法からスタートしたのではないか。

一をなぜ”ひ”と言うのか

 

■その2

ひいふうみいよい・・・はヘブライ語?

 

古代ヘブライ語に訳すと、天照大神を岩戸の外に呼び戻した祈祷文になる?

 

日本の古い数え方で、 ひい・ふう・みい・よお・いつ・むう・なな・やあ・ここの・とお というのがありますが、これは非常に歴史の古いもので、天照大神が岩戸に隠れた時に、それを呼び戻した祈祷文だったという説もある程だそうです。

 

ところがこの言葉は、なんと古代ヘブライ語であるという人がいます。

ユダヤ人言語学者アイデルバーグ氏です。

古代ヘブライ語で、「HI・FA・MI・YO・TSIA・MA・NANE・Y・KAKHENA・TAWO」 というと、「誰がその麗し女を出だすのやら、いざないにいかなる言葉をかけるやら」 という意味になるとか。

 

......なんだかみごとに状況(岩戸から誘う)に合ってますね。

 

そして、この祈祷を唱える時まわりの者が「合の手」として、"TETSE!" (出て来いの意)と唱和しました。

 

そこから、ひい-てつ・ふぁ-てつ・みい-てつ...が、ひとつ・ふたつ・みっつ......になったそうです。

 

ではなぜ"とお"には"つ"が付かなかったのか?

 

それは、ヘブライ語のTAWOは、「(彼女は)出てくる」という意味で、祈祷の時にここだけみんなで唱和したからだという事です。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 一、二、三と読みが合っているので、われわれ日本人は数をあらわすものと決めてかかっていますが、これはぜんぜん違うのです。ちゃんと意味があるのです。

 

 『記紀』(古事記と日本書紀)には、天の神であるアマテラスが「天の岩屋戸」に隠れたので、そのために世の中が真っ暗闇になったという有名な話があります。

 

 このとき女神にそこから出てもらおうと、ウズメ(アマノウズメノミコト)がその前で踊り、女祭司コヤネ(アメノコヤネノミコト)が他の神々の見守る前で読んだ祝詞、すなわち祈祷文が例の「ひい、ふう、みい・・」だったというのです。

 

 この「ひい、ふう、みい・・・」は、実は神道の鎮魂法の祓詞(はらいことば)として使われているのですが、これをヘブル語と考えると、非常に意味の通ることばとなるのです。

 

 「ヒァファ ミ ヨツィア マ ナーネ ヤカヘナ タゥォ」

       (Hifa mi yotzia ma naane ykakhena tavo)

----------------------------------

 『ヒァファ』は「その美しいかた」の意。『ミ』は「誰が」の意。『ヨツィア』は「彼

女を出すだろう」。『マ』は「何と」の意。『ナーネ』は「答える」という意味。『ヤカヘ

ナ』は「誘って連れ出す」。『タウォ』は「彼女が来る」の意味。まとめると次のような

意味になります。

----------------------------------

      「誰がその美しいかた(女神)を連れ出すのでしょう。彼女が

      出て来るために、誘いにいかなる言葉をかけるのでしょう」。

Amebaニュース

 

■その3

日本語の数詞は、ヘブライ語であるという仮説。

 

これを説明する前に、記紀神話で天照大神(あまてらす)が天の岩屋に閉じこもって世界の光が失われた場面で、天児屋命(あめのこやねのみこと)が「ひふみの祝詞(のりと)」を奏上したことを取り上げなければいけないのでした。

 

あめのこやねが唱えた祝詞は、こんな変な呪文でした。

 

ひふみよ いむなや こともちろらね しきる ゆゐつわぬ そをたはくめか うおゑに さりへて のます あせえほれけ

 

訳の分からない、現代日本人は全く理解不能な言葉です。これについてはひふみの祓詞|霊魂の力を増大させる祝詞 十種神宝;(とくさのかんだから)に詳しく有るので、見ておいてください。

「ひふみよ いむなや こと」は、「一、二、三、四、五、六、七、八、九、十」に対応している言葉です。

これを踏まえて、今度は「日本書紀と日本語のユダヤ起源」(ヨセフ・アイデルバーグ著 久保有政訳)をちらっと拝見してみます。

 

この本はヨセフ・アイデルバーグという研究家が残した本の日本語訳なのです。

46ページで、天の岩屋神話で、天児屋命(あめのこやね)の祝詞がなぜか「ひふみよ・・・・から始めることにも触れていました。そして、51ページにこうあります。

 

「ひい、ふう、みい、よお、いつ、むう、なな、やあ、ここの、とうぉ」は、若干のなまりを考慮するなら、つぎのようなヘブル語として解される。

 

「ひぃ、ふぁ、み、よお、つぃぁ、ま、なね、や、かへな、たゔぉ」・・・(中略)すなわちこれは、「ハイアファ ミ ヨツィア マ ナーネ、ヤカヘナ タヴォ」と発音され、「誰がその美しいかた(女神)を出すのでしょう。彼女の出ていただくために、いかなる言葉をかけたらいいのでしょう」の意味なのである。(中略)もともと完璧なヘブル語なのである。そしてその内容は、コヤネがアマテラスを洞窟から誘い出そうとして言った祝詞の場面に、まさにピッタリしている。

 

これが本当かどうかは、日ユ同祖論を信じるか信じないかという問題にもなってくるのですが、まぁ興味深い話ではあります。日本語だと思っていたものが、外国語、しかも旧約聖書に使われている言葉だったなんて。

日本語の数詞「ひい、ふう、みい、よ、いつ、む、なな、や、ここの、とお・・・」得体の知れない何か

 

■その4

幣立神宮(阿蘇でもっとも古いお宮)の「見たら目がつぶれる」というご神体の岩石から発見された古代の文字を、著者は平成6年1月12日、突然の天啓によって解読したそうです。

 

   ひふみよいむなやこともち

 

   ろらねしきるゆゐつわぬそ

 

   をたはくめかうおえにさり

 

   へてのますあせゑほれけ

 

ひふみよいむなやこともちろ 「一二三四五六七八九十百千万」

 

らね しき 「蘭(ラネ=真麻蘭マオラン=ヘンプの原料の葉)を 敷き(栽培し)

 

る ゆゐ 「縷(ル=細い糸) 結い」

 

つわぬ そ を 「強ぬ(ツワヌ=強い)襲(ソ=兵士)を」

 

た はくめ 「多(タ=大勢) 育め(ハクメ)」

 

かう お えにさり 「交(カ)う悪(オ) 恵方(エ=その方角)に去り」

 

へて の ます あせ 「辺天(ヘテ=神)の 枡(マス) 畦(アセ=田んぼ)」

 

ゑ ほれ け 「ゑ(エ=しっかり)掘れ(耕せ) け(ということぞ!)」

 

 

≪口語訳≫

一二三四五六七八九十百千万と、糸の原料となる真麻蘭(マオラン)を採取しそれから取った、縷(ル=細い糸)を紡ぎ衣料を整え、強い兵士を大勢、育成せよ。

そうすれば交戦してくる悪い部族の敵は、彼らの方角へ退散する。

神さまがくださった広大な枡畔(田畑)を心して、しっかり耕作せよということじゃ。

 

*******

 

古代の日本人は、「ひふみよいむなやこともちろらねしきるゆゐ・・・」と

一度も同じ文字を繰り返すことなく、見事な教えの祝詞で記憶していたのである。

 

つまり「色は匂えと 散りぬるを わが世 誰ぞ 常ならむ」という

和歌での記憶方法以前に、見事な生活の知恵と教えを含んだ言葉で、文字と音を

記憶していたことが、この日文の解釈でわかる。それは神代以来の言葉なのだ。

 

そして、日本には漢字到来以前に、独自の文字があったのだ!

ヒフミ祝詞の意味 ~ ペトログラフ・ハンドブック(吉田信啓)より。

 

■その5

(前略)

ひふみ祝詞は上記の日月神示(P301)に以下のように紹介されている。

 

「ひふみ よいむなや こともちろらね

 しきる ゆゐつわぬ そをたはくめか ゆゐつわぬ

 うおえ にさりへて のますあせゑほれけ」

 

 今回、熊本の幣立神宮を参拝するついでに、熊本の別の場所にあるペトログラフに行ってみようと思い立った。(結局そのペトログラフには今回行かなかったが)

 それで、その本棚の前で私が腕振り運動をするとちょうど目の前の位置にしまってあった「ペテログラフ・ハンドブック」(吉田伸啓)という本をふと手にとって読んでみた。 この本は1999年発行の本で、もう何年も手に取ったことがない。

 

 そして、パラパラめくっていると、この本のP128に幣立神宮のご神体の鑑石(かがみ石)に刻まれたペトログラフのことが載っていた。幣立神宮に行く3日前のことだ。

(「ペトログラフ・ハンドブック」の口絵には鑑石のカラー写真もある。)

 

 それによると鑑石の表は古代の日本語のひとつ豊国文字で「アソヒノオホカミ」(阿蘇 日の大神)と書いてある。まさに日の宮、弊立神宮にふさわしい神さまだ。

 

 そして裏面には、阿比留草文字で何と!ひふみ祝詞が刻まれていたのだ!

鑑石

 

幣立神宮のご神体「鑑石」

(左 豊国文字による「アソヒノオホカミ」 右 阿比留草文字による「ひふみ祝詞」)

 これには非常に驚いた。

 ひふみ祝詞は幣立神宮のご神体に刻まれた祝詞であり、それを私が毎日のように唱えていた場所の目の前に、何年も前からそれを教える本が置いてあったとは!

 しかも、それに幣立神宮参拝の3日前に気がつくとは!

 

 とても偶然とは思えず。幣立神宮参拝の折には、ひふみ祝詞を唱えよ、ということだろうと、そのことを心に誓ったのであった。

 

「ペトログラフ・ハンドブック」には以下の文章がある。

「「ひふみよいむなやこともちろ」までは、これまでの国語学で解読されている。

「一二三四五六七八九十百千万」という数をそれは示している。」(P131)

 

 そんなことなら私でも、気がついていたぞ!

 しかし、「「らねしきるゆ・・・」以下が全く解釈できなかった」(P131)

 

 そんなら私と何も変わらんじゃないか!

 

「ところが、(著者の吉田伸啓に)平成6年1月12日午後1時、ワープロの一太郎に向かっていた私に、突然啓示のようにその解釈が浮かんだ。」そうだ(P131) さすが専門家!

 

 以下はその解釈。

 

「ひふみよいむなやこともちろ」「一二三四五六七八九十百千万」

「らね しき るゆゐ」   「蘭 敷き 縷 結い」

「つわぬ そを た はくめ」「強ぬ 襲を 多 育め」

「かうお えにさり」    「交う悪 方に去り」

「へての ます あせ」   「辺天の 枡 畦」

「ゑ ほれ け」      「ゑ 掘れ け」

 

「一二三四五六七八九十百千万」

「蘭 敷き 縷 結い」(真麻蘭(マオラン)(ヘンプの原料の葉を 敷き 紡ぎ 結い))

「強ぬ(い) 襲(兵士)を 多(数) 育め」

「交う悪 恵方に去り」

「辺天(神)の 枡 畦(田んぼ)」

「ゑ(しっかり)掘れ(耕せ) け(ということぞ!)」(P132)

 

 なるほど~。

 47文字を1字も重ねて使うことなく、たったこれ一つ覚えるだけで文字、数字、衣服、治安、食糧の生活の基本をいっぺんに覚えさせてしまう最高傑作なのであった!

 しかも、日月神示でクニトコタチ様がおしゃっているように、これを唱えるだけで「運開け、病治って嬉し嬉しと輝く」言霊の働きがあるなら、これほどの宝はあるまい。

 まさに、幣立神宮のご神体に刻まれるにふさわしい祝詞なのであった。

 

 今回8月23日、五色人祭の当日、お参りし無事ひふみ祝詞をあげた。

 

 そして、五色人祭の一連の神事の中で「ひふみの舞」が奉納されていたことに気がついた。これは「ひふみ祝詞」にあわせて舞われる舞なのだ。

 

 この舞の中では例えば「つわぬ そを た はくめ」の場面では4人の巫女は、右手に持った刀を模した飾りを、斜めに突き上げ、まさに「強ぬ 襲(兵士)」を演じているのだった。

 

 上記の解釈と、幣立神宮で舞われている「ひふみの舞」はその内容がぴったり一致しているのだ!

 

 みなさん!今後は「ひふみ祝詞は」

 

「ひふみよいむなやこともちろ」

「らね しき るゆゐ」

「つわぬ そを た はくめ」

「かうお えにさり」

「へての ます あせ」

「ゑ ほれ け」

 

 で区切って唱えましょう!

幣立神宮とひふみ祝詞の関係(ひふみ祝詞の正しい唱え方)

 

上記のように色々な解釈です。

・・・・ いかがですか? 

熊本県 阿蘇郡の 幣立神宮の 五色人祭の一連の神事の中で 「ひふみの舞」 が奉納され、その舞は 上記の解釈と、内容が ぴったり一致していると いいます。

 

「ひふみ祓詞」@高原熊野神社with 巫女舞  

幣立神社(へいたてじんじゃ)、幣立神宮(へいたてじんぐう)は、熊本県上益城郡山都町大野に鎮座する神社。日の宮(ひのみや)ともいう。旧社格は郷社。

社伝によれば、神武天皇の孫である健磐龍命が、阿蘇に下向した際この地で休憩し、眺めがとても良い場所であると、幣帛を立て天神地祇を祀ったという。

 

その後、延喜年間(901年 - 923年)、阿蘇大宮司友成が神殿を造営し伊勢両宮を祀り幣立社と号した。天養元年(1144年)には、阿蘇大宮司友孝が阿蘇十二神を合祀し大野郷の総鎮守とした。

 

現在の社殿は、享保14年(1729年)、細川宣紀により改修されたもの。明治6年(1873年)郷社に列した。

 

明治37年2月、日露戦争開戦に当たり日本全国の8ヶ所の神社に戦勝祈願せよとの神示が宮中に降ったとされ、その中に当神社が含まれていたという。当時無名だった当神社以外の7つの神社はいずれも各地の有名な一の宮であったことから、これに感激した氏子がこの記念として、この時記念樹として植えた「日露の大役・記念の真木」という木が境内にある。

 

なお、天孫降臨の伝承を持つ高千穂にも近く、他にも様々な神話や伝承などが伝わっており、超古代史研究家や一部の宗教家から注目されている。

Wikipedia

 

 

私としては「■その1」の説が信憑性があるのではないかと思います。

「■その2」「■「その3」のヘブライ語説や、「■その4」「■その5」は、宗教性が強く後付けの感がしましす。

みなさんは、どう思いますか?

 

【おまけ】

ひとつ ふたつ みっつ よっつ いつつ むっつ ななつ やっつ ここのつ とを

「とを」につが付いていない訳

落語の「佐々木政談」という噺の中に、数の数え方のおもしろいくだりがあります。

* *

「一から十まで“つ”がそろっているでしょうか?」という質問に

「十(とう)にはない」と答えると、

「昔は付いていたが、間でぬすんだものがおる」

「一から言ってみよ」

一・・・ひとつ。

二・・・ふたつ。

三・・・みっつ。

四・・・よっつ。

五・・・いつつ。

「それ、五に“つ”が2つ付いておる」

「五が盗んだちがいない。それを返せばそろったことになる」

* *

 

したっけ。

 

 

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倉内佐知子

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