今回は「金魚」を描きました。
夏らしく、金魚を描いてみました。
子どもの頃は、夏になると金魚売のおじさんが天秤を担いでやってきていました。
「金魚~~~え~~金魚」
今思い返すと、懐かしい風景です。
約1700年前(晋の時代:西暦265年~419年)の中国南部。フナの突然変異である赤いフナ(緋鮒)が発見され、そのヒブナが金魚の祖先だと言われています。フナにもいくつもの種類がありますが、近年の研究で中国にいる「ヂイ」という鮒の一種が金魚のルーツであると特定されたそうです。 質問一覧 金魚の学名はCarassius Auratus (カラッシウス・アウラトゥス)で、スウェーデンの博物学者で植物分類学の父と呼ばれるLinne, Carl von(カール・フォン・リンネ1707-78)が1758年に定めました。 Carassiusが「フナ」、auratusが「黄金の」という意味になり学名の直訳は「黄金のフナ」となります。
-日本に金魚が渡来したのはいつ? 金魚の日本渡来時期については諸説ありますが、室町時代中期の文亀二年(1502年)、大阪の堺に金魚が伝来したとする説が、現在では一般的です。江戸時代の識者たちは、元和年間(1615~23年)に初渡来したという「元和年間説」を支持していた人もいたようで、伝来年ははっきりしたことは言えないようです。
-金魚が普及したのはいつ? 江戸時代の前期は、大名などの一部の特権階級・富裕層だけの贅沢な趣味でしたが、元禄時代以降になると武士が副業として金魚養殖を行なうなどをしたこともあり、金魚は一般庶民のところまで普及していきました。浮世絵や俳諧・川柳などにも頻繁に金魚が登場するようになり、金魚は日本人の生活に確実に定着していきました。江戸時代の金魚の浸透ぶりを表す以下の句が残されています。「裏屋住み つき出し窓に 金魚鉢」。
-金魚の呼び名は初めから「きんぎょ」? 江戸時代、金魚の赤い固体を「きんぎょ(金魚)」もしくは「こがねうを」と呼び、白い固体は「銀魚(ぎんぎょ)」もしくは「しろがねうを」と呼んでいた時期がありました。しかし「こがねうを」「銀魚」「しろがねうを」はいつのまにか使われなくなっていき、「きんぎょ」が残ったようです。 |
句は真似事です^^
したっけ。
金魚を飼っていたんですか?
金魚は人を見ると餌をくれると寄ってきますね。
なついてるわけではなく、条件反射です^^
したっけ。
金魚に代わってお礼を…^^
したっけ。
金魚が泳ぐ姿は、涼し気ですね^^
したっけ。
ほんとうに金魚が泳いでるみたいですね(*^。^*)
ぷっくり金色のお腹がかわいんですよね^^
前は金魚も飼ってて
水槽をトントンって叩くと寄ってきてました^^
金魚すごいですねぇ。
躍動感有って今にも動きそうですね。
いつも温かいリアクション
ありがとうございます。
蒸し暑い日が続きます。
こんな日は金魚鉢の中で
ゆったり泳ぐ金魚に思いを〜♬
今日もどうぞお元気でご活躍を!