都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
今日は、いよいよクリスマス特集の最終日です。日本のクリスマスのお手本となった、アメリカのクリスマス事情について考えてみましょう。
そもそもクリスマスとはなんでしょう。
これは、12月25日にイエス・キリストの降誕を祝うキリスト教の行事です。ところが、不思議とヨーロッパに限らず、世界の多くの国で休日扱いだそうです。
ただし、クリスマス大好きの日本は平日です。まあ、当然といえば当然ですよね。楽しければ何でもいいっていう国民性ですから。キリスト教徒でもないのに家族揃ってクリスマス。キリスト教の国の人は不思議でしょうね。
クリスマスの起源は不明だそうです。しかし、4世紀ぐらいからキリスト教徒の間でクリスマスを祝っていたそうです。
クリスマスはキリストの降誕を祝うキリスト教の行事なのですが、キリストが実際にいつ誕生したかは不明。
クリスマスといえばアメリカ映画でも同じもですが、最近は事情が違うようです。
クリスマスを堂々と祝うべきか、それとも、非キリスト教徒への配慮から、慎むべきか・・・。キリスト教徒が国民の8割強を占めるアメリカでは、議論が起きているのだそうです。
サンタクロースや「ジングルベル・ロック」はOKだが、イエス・キリスト、「きよしこの夜」はダメ。・・・とか。
オフィスで開くのは「クリスマスパーティー」ではなく「年末パーティー」。「クリスマス休暇」ではなく「冬休み」。・・・とか。
「政教分離」と「信教の自由」を憲法修正第1条で定めるアメリカでは、クリスマスの宗教色はかなり薄まっているのだそうです。
政府庁舎など公共施設ではクリスマスの飾り付けを行わないそうです。イリノイ州の小学校は、スクールバスの中でクリスマス曲を流すのを禁じたそうです。
クリスマスツリーについてさえ、「宗教的なシンボル」として、「私企業のオフィスなら良いが、公共の場では禁止」(フロリダ州パスコ郡)や「コミュニティーツリーと言い換えるべきだ」(カンザス州ウィチタ市)といった条例もあるのだそうです。
お葬式は仏教。お正月には神棚。クリスマスにはツリー。そんな日本人には信じられないことがクリスマスの本場だと思われていたアメリカで起こっているのです。
考えてみれば、人種の坩堝(るつぼ)といわれるアメリカは、宗教の坩堝でもあったのです。
る‐つぼ【坩=堝】
1 《「鋳(い)る壺」あるいは「炉壺」の意からか》中に物質を入れて加熱し、溶解・焙焼(ばいしょう)・高温処理などを行う耐熱製の容器。金属製・黒鉛製・粘土製などがある。
2 熱狂的な興奮に沸いている状態。「会場が興奮の―と化す」
3 種々のものが混じり合っている状態や場所。「人種の―」
大辞泉
最後に確認しておきますが、クリスマスは12月25日です。12月24日はクリスマスイブですのでお間違えのないように・・・。
したっけ。
一昨日の夕方から降り始めた雪は、昨日夕方まで降り続きました。当地帯広は、積雪52㎝の発表。我が家は郊外のためもっと多い。
とんだ「ホワイトクリスマス」です。多すぎるんでないかい。
地球上では正反対に位置する、日本とブラジル。日本が冬ってことは、ブラジルでは夏です。南半球ですから、12月24日・25日は真夏ということになります。
勿論、季節は違っても、暦は世界共通です。
しかし、カトリックの国なので盛大に祝うそうです。ですから、汗をふきふきのクリスマスということになります。
そこで気になるのがサンタクロースです。真っ赤な厚ぼったい服に、大きな袋をぶら下げているのか・・・。
街を歩くと水着のショーウインドーの隣に、あのサンタクロースがいるそうです。半ズボンではありません。正装でおられそうです。日本の夏にあの服を着ていると想像しただけで汗が吹き出そうです。そして、雪の装飾は綿で代用し手いるそうです。また、ブラジルはで基本的には雪が降りません。
ですから、展示されているサンタクロースを見て、サンタは綿の中いると思っている子も多いそうです。
こんなジョークがあるそうです。
クリスマスの映画を見た子どもが、トナカイが鼻から白い息を吐いているのを見てこう言ったそうです。
「ママ、あのトナカイはタバコを吸っているよ!」
そしてブラジルの父親たちは、クリスマス・イブには、サンタクロースの格好をして子供達の靴下の中にプレゼントを入れていくそうです。勿論、例の衣装です。
さすがはサンバの国ブラジル。父親も熱い・・・・。いや、暑過ぎます。
☆クリスマスについては、下記もご参照ください。
したっけ。
まず、「X’mas」が間違いのようです。略すなら、「Xmas」が正しいようです。
理由は、「Xmas」英語の省略語でないのだそうです。ですからアポストロフィーは不要となります。「X-mas」も間違いだそうです。英語では「Christmas」ですから・・・。
では、「X」とは何かと言う疑問が浮かびます。
「X」は、キリストのギリシャ語綴り「Χριστοσ」(クリストス =直訳すると「油注がれた者」で、意味は「救い主」)の頭文字Χ(キー)をローマ字のXで模したものだそうです。
クリスマス=「キリスト」+「マス(=ミサのこと)」だそうです。
クリスマスの由来はたくさんありますが、「太陽神への誕生際」や「農耕神への収穫祭」が元となり、後に、キリストの聖誕祭と結びつき、今のクリスマスになったといわれています。
当時のローマでは、太陽神を崇拝している異教が大きな力を持っており、12月25日は太陽神を祭る祝祭日だったそうです。
そのため、初代キリスト教の指導者たちが、異教徒たちとの対立や摩擦を生むことなく彼らにキリスト教を広げるために12月25日をクリスマスと定めた…そうです。
「X」は、「十字架」を背負って歩くキリストの姿が連想されます。なんて言ったら叱られるでしょうか。
私は、「X’mas」が正解だと思っていました。昔は、「X’mas」ってどこでも書いていましたから・・・。ただ、何故「X」なのかは疑問でした。
いつから、「Xmas」になったのでしょう。
因みに、南半球の「Xmas」は真夏です。
したっけ。
新約聖書には、イエスの誕生日に関する記述はないが、その頃のユダヤの風習から推測して9月の中旬から10月上旬の秋ではないかとする説。10月1日か10月2日が誕生の日と推測する説もある。
1993年9月15日に、イギリスの天文学者D・ヒューズが聖書中の天文現象の記述から、イエスの誕生日は紀元前7年9月15日とする説を発表した。ドイツのゲッペウス博士は8月説を唱えている。これは聖書の記述を彗星(すいせい)の出現とするのが根拠だそうです。
また、羊飼いが誕生を祝ったあと夜中の見張りに戻ったとあり、羊を放牧するのは4月から9月の間で、冬の寒い時期には小屋に入れて外に出さない事から、夜中の羊の見張りを行う4月から9月までの間とする説もあるそうです。少なくともイエスの誕生日が12月ではない事は確かであるようです。
4世紀頃迄に、キリスト教において、イエスの降誕からの幾つかの出来事を神の栄光がこの世界に顕現したという意味で祝われるようになりました。ですが、当時でも既にイエスの降誕日は不明で、下記の日付を祭儀日としました。
当時の教会は 教派に分裂しておらず一つの普遍教会ですが、その中で大きく分けると西方教会と東方教会といったまとまりがありました。
降誕祭(クリスマス)に関しては、東方教会(アレキサンドリア地域など)では1月6日に、西方教会(ローマ地域など)では12月25日に記念が行われるようになりました。やがて 西方・東方の地域的慣行が統合され、12月25日~1月6日に一連の降誕・顕現の記念がされるようになりました。
そうして、12月25日を西方・東方の双方が降誕祭として記念するとともに、1月6日を西方教会では、博士の来訪をもってイエスが世界に現されたとして記念するようになり、一方、東方教会では、その1月6日をイエスの洗礼をもってその神性が現されたとして記念するようになります。
1月6日はエジプト暦上の冬至、12月25日はローマ暦上の冬至に由来するといわれます。1月6日は元々エジプトの太陽神の祝日で、12月25日はローマ帝国の国の祭日(やはり太陽神の祝日)でした。いずれの日付にせよ、実際のイエスの降誕日は当時も現在も不明ですので、人々を闇から救う世の光であるイエスの降誕を記念するのに、キリスト教以前の祭日日程からある意味 便宜的に流用したといえるかも知れません。
キリストの誕生日が12月25日である確立は365分の1であるようです。
したっけ。
イエス・キリストの誕生日を祝うため、と言うのが答えで、イエス・キリストのバースデーケーキが、クリスマスケーキとなった由来です。
では何故お祝いにケーキを食べるのでしょう?
庶民の食べるパンは小麦粉と塩と水を練って焼いただけというのでした。ケーキを作るには小麦粉の他に砂糖も卵もミルク必要だし飾りの果物やクリームも必要です。材料自体が贅沢品なのです。
だから普段は滅多に食べられないけれどせめて節目のお祝いには・・・、ということなのでしょう。食べるケーキは国や地方によって様々で、現代人におなじみのデコレーションだけとは限らず蒸し焼きにして作るプディングなどもありますが、材料の贅沢さは同じようなものです。
日本でお馴染の丸型のスポンジケーキに白い生クリーム、大きな赤いイチゴが乗ったショートケーキタイプ。
ショートケイク(shortcake)
アメリカ式のショートケーキは日本式に見られるスポンジケーキではなく、「ビスケット」と呼ばれるパンとケーキの中間のようなものを土台にしているそうです。英語の形容詞 short には「サクサクしている」という意味があり、ショートケーキという言葉も土台のサクサク感に由来するそうです。
日本では、丸いものを切ったイメージがありますが、ちょっと違うようです。
アメリカ映画には、日本で見慣れたケーキが出てきますから、これが、世界的にも定番と思われがちですが、実はこの形が主流なのは日本とアメリカだけだそうです。
しかし、他の国では「フルーツケーキ」というケーキをクリスマスにプレセントするようです。
これはラム酒漬けフルーツとナッツを、これでもか・・・という位ふんだんに使って焼いた贅沢なケーキだそうです。でも、フルーツケーキが嫌いな人が多いのだそうです。それでも、伝統ですから贈るようです。ラム酒にどっぷり浸かったフルーツケーキ(クリスマスケーキ)丸ごと火をつけて、アルコールの青い炎に包まれたケーキを切り分けるそうです。
フランス国王ルイ16世の王妃マリー・アントワネット(1755年11月2日 - 1793年10月16日)の有名な台詞に「S'ils n'ont pas de pain, qu'ils mangent de la brioche!(パンがなければお菓子を食べさせておやり!)」というのがありますが、彼女はお菓子の材料がパンを作るより贅沢品三昧の代物だと知らなかったようです。
日本の、江戸時代の末期に上方の遊女が初(うぶ)なふりをして「かまぼこって、おとと(魚)で出来ているの。」といったことに似ています。因みに、これが「かまとと」の語源です。
話が脱線してしまいました。日本でクリスマスケーキを食べるようになったのは、あるケーキ屋(一説には不二家?)が、明治時代に販売を始めたからだといわれています。
キリスト教徒ではない日本人が、クリスマスケーキを食べるのは単にお祭り好きだからだと思います。美味いんだから、いいんでないかい!
したっけ。
だんだんとお正月も近づき、お正月の準備をする時期になりましたね。
お正月といえばやっぱりおせち料理。
コンビニやスーパーなどでもおせち料理の注文を受けてくれるので、とても便利になりました。
みなさんはおせち料理を自分で作りますか?それともお店に注文をしますか?
自分でつくるよ。オレが作るんだよ。だから、オレが自分で作るんだよ。ずっとそうだよ。
甘煮(うまに)、金平(きんぴら)、ナマス、昆布巻き、田作り(ゴマメ)・・・。蒲鉾、伊達巻は作らねえがな。昔は黒豆も煮たんだが、時間がかかって、シワシワになったんじゃ目も当てられねえ。
最近は、昆布巻き、田作り(ゴマメ)は人気がねから作らねえ。ナマスは老眼で細く切れねえ・・・
。無理すると血だらけになるから、娘
に譲った。
なんだ?だんだん少なくなってきたじゃねえかって・・・。そうだな・・・。
去年は娘が伊達巻作ったよ。いま、思い出したんだよ。いいじゃねえか、みんなそうなるんだぜ。物忘れが激しくなる。バカヤローッ!まだボケちゃいねえよ。
あ、金団も娘が・・・。
家内はどうしてるんだって?年末年始は仕事なんだよっ。だから・・・、オレが作ってる。
コンビニやスーパーに注文したって、ペラペラの皿にチョロットのっかるだけで、あんなもん高いばっかりだ。おまけに「和風おせち」だなんてよっ。おせち料理は、もともと和風なんだよっ。
わざわざ和風って言っておきながら、ハムが入ってる。ハムのどこが和風なんだよっ。
ホテルや料理屋のおせちは、重箱代のほうが高いんじゃないのって代物だ。だから、オレの家は自家製おせちってわけだ。
結局、オマエは何を作るのか?って・・・。
甘煮と金平だよ。金平もゴボウが太いって苦情が・・・。うるせえ!黙って喰え
。
したっけ。
今日から12月25日までの5日間は、クリスマス特集です。
セント・ニコラウスは、トルコにいたローマ教の聖人で、司祭の礼服は真っ赤なのです。今でも最高位の枢機卿は赤と白の正装を身にまとっています。 この色は人々の幸せのためなら、自分の命でも捧げるという決意を表すのだとされており、自らの血の色とも、キリストが流した血の色とも言われています。
オランダでこのセント・ニコラウスを「シンタクラース」と読んで、子供達を守ってくれる聖人としてお祭りをし、このシンタクラースが、アメリカに伝わったとき、変化してサンタクロースになったといわれ、聖人をキャラクター化するに当って枢機卿の正装のままだとまずいので、デザインをかえましたが、衣装の色は赤そのままだそうです。
サンタクロースに赤い服を着せたのは、アメリカの挿絵画家のトマス・ナストが1860~80年代に「ハーパーズ・マガジン」誌のクリスマス号に描いたもの確認できる最古のものといわれています。
トマス・ナストのサンタクロースの特徴は
・ 赤い服を着ている。
・ 太っている。
・ 仕事場は北極にある。
・ 良い子と悪い子を分類したリストを持っている。
「ひろおサンタランド」は1年中クリスマス。北海道十勝広尾町はサンタの故郷ノルウェーが認めた国外初、日本で唯一のサンタランド。
サンタメールがとどきますよ。今年の分は終わったかも・・・。
したっけ。
大まかに12月後半のことを年末、年の暮れ(としのくれ)あるいは暮れ、年の瀬(としのせ)、1 月前半のことは年始、年明け(としあけ)、新年(しんねん)、年始め(としはじめ)と言うことがある。なお年の瀬は、江戸時代には庶民にとって年を越えることも一苦労で、このことを越えなければ死をも待っている川の流れの速い"瀬"に喩えています。当時は年末に借金を清算していました。
せ【瀬】
1 川などの流れが浅く歩いて渡れる所。浅瀬。「―を渡る」⇔淵(ふち)。
2 川の流れの急な所。また、海水の流れ。潮流。「―を下る」「潮―」
3 物事に出あうとき。機会。「身をすててこそ浮かぶ―もあれ」「逢(お)う―」
4 置かれている立場。「立つ―がない」
5 そのような点。ふし。
「かへりて面だたしげなるを、うれしき―もまじりて、大臣(おとど)は御涙のいとまなし」〈源・葵〉
6 場所。ところ。
「聞かずともここを―にせむ時鳥(ほととぎす)山田の原の杉の群立ち」〈新古今・夏〉
大辞泉
日本の場合、災害避難所になっている場合等一部を除いて、学校(冬休み)をはじめ、国や地方自治体の役所(官公庁)は休日となる。多くの企業や店舗でも、この期間を休日(休暇)としている。
年末年始の時期は、クリスマスや正月のお年玉や初売りなどに焦点を当てて、年末年始商戦をする業者も存在する。商業的には12月20日頃から年末なのでは・・・。
御用納め(12月28日、当日が休日(土曜あるいは日曜)の場合は直前の平日)
大納会、金融機関の営業最終日(12月30日、当日が休日(土曜あるいは日曜)の場合は直前の平日)
初売(公式には2日)
ほとんどの商店の営業が2日より始まる。
初仕事(2日)
御用始め・大発会(1月4日、当日が休日(土曜あるいは日曜)の場合は直後の平日)日本の官公庁や金融機関、多くの企業では、この日から通常業務を開始する。
年末年始の明確な線引きはないものの、おおむね12月28日(御用納め)から翌1月3日(御用始めが4日)ではないかと思われます。
企業などでは、年始の挨拶回りを1月4日から11日(鏡開き:正月飾りをはずす)ごろの間に行うので、ここまでを年始としてもいいのかもしれません。
また、15日を小正月と言うので・・・、きりがありませんのでこれくらいで・・・。
最近は、31日まで営業し、元日から営業という店舗も増えているため、お正月の雰囲気が薄れたと思うのは私だけでしょうか・・・。
因みに。元日から営業という店舗の従業員の方は、徹夜で初売りの準備をします。「正月なんていらない・・・」と思うそうです。
ところで、今年の夏は大変な猛暑でしたが、冬もいつもと違う気がします。「なんか・・・、変」でなければいいのですが・・・。
したっけ。
今朝も雪が降っています。今冬2度目ではありますが、もう愛想がつきました。
「愛想」は「あいそ」と読みます。「人に接して示す好意。愛らしさ」のことで、「愛想が尽きる」といえば、「すっかり嫌になる」ことです。
「あの怠け者には、愛想が尽きる。」などとつかいます。
あい‐そ【愛想】
《「あいそう」の音変化》
1 人に接するときの態度。また、人当たりのいい態度。「店員の―のいい店」「―のない返事」
2 人に対する好意・信頼感。「―を尽かす」
3 (多く「お愛想」の形で)
①相手の機嫌をとるための言葉・振る舞い。「―を言う」「お―で食事に誘う」
②客などに対するもてなし・心遣い。「何の―もなくてすみません」
◆「愛想をふりまく」という言い方について→愛嬌(あいきょう)[補説]
「愛嬌を振りまく」はこれが本来の言い方であるが、文化庁が発表した平成17年度「国語に関する世論調査」では、「愛嬌を振りまく」を使う人が43.3パーセント、間違った言い方「愛想を振りまく」を使う人が48.3パーセントという逆転した結果が出ている。
大辞泉
では、「愛想をふりまく」は「好意をふりまく」ことでしょうか。確かにそういうこともあるかもしれませんが、慣用句的には「愛想をふりまく」はありません。
上記の「大辞泉」のもあるように、それを言うなら「愛嬌をふりまく」です。この場合の「愛嬌」には、「人に好かれるような愛想や世辞」の意味があり、「愛想」と似ているために混同されたものだと思います。
しかし、「愛嬌を振りまく」よりも、「愛想をふりまく」の使用が多いという結果では、「オジサン、なに言ってるの?」などと言われかねません。
したっけ。
どこもおかしいところは見当たりません。よく聞き表現です。
でも、正しくは「弓を引く」です。
こういえばなるほどと思うでしょう。思わない・・・。同じじゃないの・・・。
違います。「弓矢」は、「弓と矢」ですから、両方引いたら、飛んでいくものがなくなってしまいます。正しく、弓に矢をつがえて射ることが大切です。
尚、弓道では左手を押手(おして:弓を押す)と、右手を刈る手(矢を取り出す手)又は勝手(かって)と言うそうです。
※ 箙(えびら:矢を入れる道具)から矢を抜くことを「刈る」と言い、「刈る手」から転じて「勝手」になったと考えられる。
なお、「弓を引く」には、「矢を射る」のほかに、「反抗する。そむく。」の意味もあります。
「親に向かって、弓を引くつもりか!」などと時代がかった言葉で怒鳴られることは、今どきないでしょうが・・・。
余談ですが、「弓を引く」も間違いで、「弦(つる)を引く」が正しいという人がいるかもしれませんが、それは「川が流れる」をおかしいと言いがかりをつけるのと同じことになります。
大人気ない言動は慎みましょう。(自分に言い聞かせています・・・。)
したっけ。