都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
「全然」は、「全然ダメ」のようにその下に打ち消しか否定の表現がつくと考えられています。ところが、最近では、「全然すてき」、「全然いい」のような言い方が珍しくなくなってしまいました。私個人的には非情に違和感があって嫌いですが・・・。
ぜん‐ぜん【全然】
?[ト・タル][文][形動タリ]余すところのないさま。まったくそうであるさま。
「―たるスパルタ国の属邦にあらずと雖も」〈竜渓・経国美談〉
?[副]
1 (あとに打消しの語や否定的な表現を伴って)まるで。少しも。「―食欲がない」「その話は―知らない」「スポーツは―だめです」
などと、頑固オヤジを気取ってみたものの、このように用法が変化した言葉は、「全然」だけではなかったのです。「とても」も明治のころは、「とてもできない」のような打消しを伴う用法だけだったようです。
それが大正・昭和の時代になって、「とてもきれい」のような言い方がされるようになったようです。
こちらのほうは、生まれた頃からきいているので、違和感はありません。(身勝手な感想・・・。)
とて‐も【×迚も】
[副]《「とてもかくても」の略》
1 (あとに打消しの表現を伴って用いる)どのようにしても実現しない気持ちを表す。どうしても。とうてい。「―食べられない量」「―無理な相談」
2 程度のはなはだしいさま。非常に。たいへん。とっても。「空が―きれいだ」
3 結局は否定的な結果になるという投げやりな気持ちを表す。どうせ。しょせん。
「―お留守だろうと思ったんですけどね」〈里見弴・多情仏心〉
「―、地獄は一定すみかぞかし」〈歎異抄〉
4 よりよい内容を望む気持ちを表す。どうせ…なら。
「―我をあはれみ給ふ上は」〈仮・伊曾保・上〉
◆「迚」は国字。
「全然すてき」のような言い方は、現在ではすっかり市民権を得ているようです。
「全然」も「とても」も同じ穴のムジナだったとは、全然知りませんでした。
したっけ。