都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
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記事の行間が大きく空いてしまいます。動画も挿入できません。
現在、OCNさんに調べてもらっていますが、一度目の返答では解決しませんでした。さらに質問中です<(_ _)>
したっけ。
1859(安政6)年2月13日、壱岐郷ノ浦の漁師53人が五島沖で突風に遭い全員が死亡した。それ以前から、郷ノ浦の漁師の間で春の初めの強い南風が「春一」と呼ばれており、これが「春一番」の語源とされている。春一番の語源には他にも諸説ある。
1950年代からマスコミがこの言葉を使用するようになって一般でも使われるようになり、1985年からは気象庁が春一番の発表を行っている。
Wikipedia
今日は「春一番」名付の日だそうです。
「春一番」は、この現象が発生する、関東甲信・北陸地方から九州地方で発表されており、発表の目安は各地で少しずつ違いますが、関東地方では次のとおりです。
① 発表する期間は立春から春分までのあいだ
② 日本海に低気圧があること
③ 強い南寄りの風(風向は東南東から西南西まで、風速8m/s以上)が吹き
④ 気温が上昇すること
このような条件が整わずに「春一番」は吹かなかったという年もあります。
気象庁のHPより
しかし、日本列島は雪に見舞われ、まだまだ先のようです。
北海道では「春一番」の発表はありません。
したっけ。
じつは再開に当たり新しいパソコンWin8.1を買いました。
これが実に厄介なやつで、奮闘努力のかいもなくいまだに苦戦しております。
今までのパソコンとは別のものです。しかも、取扱説明書がペラペラです。分厚い取扱説明書はついていません。あれを読むのが大好きな私にとっては苦痛なほどです。
そのため、やむを得ずWeb取扱説明書<詳細版>をダウンロードしました。
200ページ以上ありました。
現在、勉強中です。何もかも違うので時間がかかります。更新もおぼつかないかもしれません。
更新がなくても、病気ではありません。
どうぞよろしくお願いします。
したっけ。
世界各地で開かれる冬季オリンピック。会場は、欧米北部の都市が圧倒的に多いのです。スキーやスケートなど、雪や氷を必要とする競技ですからそれも当然です。では、1924年から続く歴代の開催地の中でもっとも南にある都市はどこだと思いますか?
■冬季オリンピック開催地一覧
※1940年大会(札幌→サン・モリッツ→ガルミッシュ・パルテンキルヘン)
1944年大会(コルティーナ・ダンペッツオ)は第2次世界大戦で中止。
答えは、1996年のオリンピックの開催地になった長野県なのです。
世界地図を広げてみると、いかに長野の緯度が低いかが分かります。長野市は北緯36~37度の間にあるが、これはアフリカの北端と同じ。長野周辺は山が多くて標高が高いため、欧米ほどの高緯度でなくても、開催条件をクリアすることが出来たというわけだ。
ソチという都市は、ロシアのヨーロッパ側のいちばん端にあるリゾート地です。北緯43度くらいで、北海道の札幌とほぼ同じですが、黒海の海洋性気候のおかげでとても温暖なので、夏は海水浴客で賑わうそうです。
寒暖は緯度だけでは決まりません。標高も関係していたのです。
日本人選手の活躍を期待したいですね。
したっけ。
長い間、ご心配をかけまして申し訳ありませんでした。
最初は年末の疲れが出て、ちょっと休むつもりでした。一旦休むとほっとして、1週間ほど休んでしまいました。
休んでいたのは病気ではありません。本当に疲れていました。
再開しようとPCのスイッチを押して、迷惑メールを削除しようと開けたところ、大変ショッキングなメールがありました。
財団法人インターネット協会が警察庁からの委託を受けて設立された「インターネット・ホットラインセンター」より、OCNが連絡を受けたというものでした。
それはOCNからのメールには、私の3年ほど前の記事が「児童ポルノ」に抵触するというものでした。
私としては、まったくそのようなつもりもなく、そんな意味で書いたつもりもありませんでした。
しかし、そこに書かれていた抵触する部分の条文には、そういわれればそうかもしれないかな?ということが書かれていました。
すぐに削除しなければ、ブログの機能を使えなくし、契約を解除するという内容でした。
早速、その記事は削除しましたが、私はブログを書くことの恐ろしさを痛感いたしました。
自分の思わぬことが、思わぬところで法律に触れてしまったという恐ろしさです。
考えすぎかもしれませんが、特定秘密保護法が施行されたらどうなるのかという不安が頭をよぎりました。
以来、PCのスイッチは切ったままでした。
皆様からの温かいコメントは大変ありがたく読ませていただきました。
皆様からのコメントのありがたさと、書くことの恐ろしさに悩み、今日まで戦っていました。
でもやっぱりブログが書きたくなりました。ぼちぼちではありますが再開したいと思います。
これからもお付き合いのほど宜しくお願い申し上げます。
したっけ。