江戸末期から明治時代に活躍した日本を代表する植物学者の本を読んでいる。日本の学士院制度が始まったとき、21名の学士院会員の一人が伊藤圭介だった。尾張本草学から明治の植物学者となり、90歳を超えて生きていた。伊藤圭介から美濃大垣の蘭学者、信州の田中芳男など福神漬を調べてゆくうちに、交友及び学問の結びつきを感じる。シ-ボルトに会ったようでそこから幕末明治の続く。まだまだ理解ができないが上野の公園等に関係ある田中芳男が伊藤圭介のもとで学んだという。田中が福神漬を命名したという、逸話の出どころが探れない。
やはり尾張本草学と(なた豆)が何か関係があるのだろうか。