年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

尾張本草学

2017年09月08日 | 福神漬

幕末御三家の筆頭の尾張藩の本草学が発展した。水谷豊文を中心とした医学、薬学ための植物学が発展した。長崎からシ-ボルトが江戸に来る途中会っていたようだ。後に水谷の弟子である伊藤圭介が長崎にゆくこととなる。その伊藤圭介について学んだのが長野県飯田市出身の田中芳男だった。田中は福神漬命名者の一人になっている文献がある。

 尾張本草学は旧来の日本での秘伝と隠された学問等の伝承を排除し、公開されてぞれぞれの人たちの相互の研究をしていたようだ。中国から伝わった本草学は日本と中国とが同じでは無いと気がついたのは貝原益軒の大和本草からだと言う。盲目的に文献解題をしていたようだ。植物学でリンネの分類を日本で始めたのは尾張本草学の水谷豊文という。ここにもシ-ボルトの影響がある。福神漬伝説に異説が多いが相互に関係があって、中々異説といって排除が出来ないことに気がつく。

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