年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

神栖市息栖神社行き

2017年09月09日 | 福神漬

東国三社の茨城県神栖市息栖神社に行きました。香取民衆史の花香恭次郎が明治6年頃横浜から息栖の地へ行きました。農業経営を学ぶためでしたが直ぐに東京に出戻ります。一度息栖の地を見てみたいと思っていました。息栖神社のある息栖は利根川水運交通の要所の一つで外洋から来た船から利根川水運へ積み替える拠点港の一つだったようです。さらに東国三社鹿島・香取神宮と共に息栖神社も参拝の対象だったようで松尾芭蕉等の文化人が参拝しているようです。海抜は1.4Mしかなく内陸港だったと思われます。明治末期には交通網の発達で水運が衰退し今では昔の面影がないようですが堤防に上がると小見川等の千葉県側の丘が直ぐ側に見えます。

 花香家と幕臣大久保平之小承との関係があったのでしょうか。神栖の地域は元禄10年の(地方直し)を経て享保以後所領支配の変更が無かったようで金森・大久保・妻木氏の支配が明治4年の廃藩まで続きました。息栖村は大久保氏の支配で232石でした。

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