日本缶詰協会のわが国に缶詰の始まりは北海道開拓使系統からとなっている。ところが石井研堂の明治事物起源が缶詰の始まりが山田箕之助となっている。山田は西日暮里にある浄光寺にある福神漬顕彰碑の裏面に名前がある。
長州ファイブの山尾庸三がイギリスで薩摩の町田久成と芸州(広島)村田文夫とで出合った。維新後、三人が明治政府の役職につく。山尾が工業を振興する工部省、町田が文部省、そして村田が測量とか建築関係の仕事をしていたようで明治初期の文献に出てくる。当時の測量は絵画等に技術が必要だった。そのことから同じく芸州の本多錦吉朗と村田が知り合った。村田は野村文夫となり、明治政府から離れ、明治の人気風刺漫画雑誌を明治10年に創立した。その時の挿絵画家が本多錦吉朗だった。
山尾の工部省は雇外国人が全員イギリス人で町田の文部省の雇外国人はアメリカ人だった。つまり石井研堂の缶詰の始まりに出てくる工部省雇外国人げアメリカ人ということはおかしいことになる。山田箕之助に缶詰製作法を教えたのは誰なのだろうか。
ナポレオンの懸賞から始まった持ち運びのできる保存食料方法から缶詰が始まった。フランスでは缶詰製造法は発達しなかったがイギリス・アメリカで発展した。どちらもグルメとは縁のない国と思われた国である。