1917年9月26日、日本郵船常陸丸はコロンボを出航し、行方不明となった。翌年捜索船が船の残骸を発見し、遭難が確実となった。インド洋の島で捜索船が発見したのは福神漬の缶詰を入れてあった木箱で酒悦の焼印があった。
第一次大戦のことは忘れ去られている。しかし漬物の福神漬には記憶として残っている。第一次大戦で戦争に巻き込まれた商船が数隻あるが戦没商船の扱いも無く、鶴見の総持寺に記念碑があるのみである。
洋上で投身自殺した常陸丸の船長の遺族はどう感じているのであろうか。インド洋で遭難した常陸丸は二世で一世の常陸丸は日露戦争時玄界灘でロシアの攻撃を受け沈没した。九段の靖国神社に遭難碑がある。この玄界灘の遭難が無ければ203高地の戦闘も変わっていたと思われる。