宮城県伊具郡丸森町へ行った後、佐藤清の経歴を探っていると、今では消えた原払一庵という人物が出てきた。この人は二本松藩士の生まれで、幼い時福島の原家に養子となった。住んでいたところの前で福島自由新聞が発行していたので、散文を新聞に載せたので、一時逮捕されたが未成年ということで釈放された。その後東京に原が上京し、根岸に住んでいた文化人との交友があったようだ。その手引きとなったのが高橋太華で高橋も二本松の藩士の子孫だった。明治26年ごろ、宮城県丸森の大張地区の佐藤清氏の推薦で仙台自由党の機関誌の主筆として活躍したが、すぐに廃刊となり、再び東京に戻り翻訳小説を書いていたが酒におぼれ死去した。根岸党は酒を飲んで交友するので不幸な死を招いた人が多いようだ。
根岸党の酒のつまみとして、福神漬が文献に残る。