過日丸森町へ行った。晴れを狙っていったので目的は果たせなかったが丸森町の中を阿武隈急行の駅で借りた自転車で町内散策した。主要な目的地は電動自転車が必要でなかった。今の消える街とはどのようなのかは実感した。
町内の図書館で郷土資料を探すがないので県立伊具高校へ向かう。しかし伊具高校の70年史には記録がない。さらに伊具高校は女子高校と農業蚕糸系の学校との統合で明治の学校以前の記録もないようだ。
丸森町の蔵の郷土資料館(斎理屋敷)でいろいろ事情を聴く。そもそも江戸時代から福島から阿武隈川に沿って蚕の産地だったようだ。そして河川による舟運が盛んで福島から丸森町まで小舟で運ばれたものがこの付近で積み替えてより多く積める舟に積み替えるところだったようだ。明治に入って鉄道建設の話がきたが、蚕の餌となる桑に鉄道の煙がつくという懸念で反対運動があり、今の東北本線のルートから離れてしまった。さらに高速道路からも離れているようだ。丸森町に漬物屋があって、梅干しとしそ巻きラッキョウを作っていた。梅干しは地元の梅で品種は白加賀という。後で聞きそこなったが桑の代わりに植えたのだろうか。
明治期は生糸で栄えた町が生糸の不況で衰退したようだ。戦後は大陸からの引き揚げ者の開拓でミルクが産業となったようだがこれも消えた。何にもない街だが帰りの阿武隈急行車内で何か夢がありそうな町かもしれないと感じた。午後3時に電車に乗り6時に東京についた。夕方の満員電車で午前のほぼ無人のあぶ急の電車内で女性の車掌が切符の確認で走りまわっていたとの差を感じる。東京で800円の電車賃ではかなり遠くまで行けるが客の少ない電車は割高だ。悪循環。
あと少しで江戸時代後期から昭和25年まで栄えた商人の屋敷が歴史遺産となってゆくだろう。触れる資料があるのはまだ誰も価値を知らないようだ。未整理の史料を解明すれば佐藤清が明治の第六回衆議員選挙で当選し、第七回選挙の時に消えていた理由がわかるだろう。