やっと見つけた浦賀奉行所与力と水戸藩との関係文書だったが文献の出所が不明で、横須賀市中央図書館郷土資料室で探す。一時間ほどで中島三郎助関係文書だろうと読んでいたがなかった。念のため附冊のところを見ていたらあった。21頁。芳子聞書き・覚書 中島芳子文
このあと中島三郎助と水戸藩の関係は静岡県戸田のロシア船建造から石川島の水戸藩造船所へ戸田で洋式帆船を作った大工がは派遣された。浦賀で見様見まねで洋式帆船を作っていた浦賀の知見を知りたかったようだ。開国派の中島と攘夷の水戸だが国を守るということでは共通の問題だった。今文献を見ていると浦賀の人(中島三郎助・下曽根金三郎・内田弥太郎)たちは情報を隠すということを考えていないで徳川ということより日本ということを考えていたようだ。