千葉県市川市の地域図書館で郷土資料を読んでいた。明治元年市川市付近で旧幕府軍と戦闘があった。市川行徳は塩産業で幕府の保護を受けていたので心情的には幕府応援だった。ところが旧幕府軍があっけなく敗走すると町の人たちが新政府軍の陣屋を訪問し、協力を表明したようだ。これが薩長参りと言われる理由であった。町の人たちの裏切りで、幕府への納品で市川市伊勢宿の漬物商人が失望し、浦賀与力だった中島三郎助の一行に従い、北海道に行ったと想像できる。しかし明治に入って敗軍の人たちへの弾圧で語ることもなく消えていった。記録として残るには石井研堂の明治事物起源である。節操のない市川の人たちの当てつけかもしれない。
前回調べてから、10年の月日が経っている。やっと築地の業務から解放され、漬物史に専念できるので事実確認のため市川に行ってみたい。市川の塩業は過酷な仕事であったようで幕府の保護のない、明治以降は次第にすたれ、衰え、今では地名として残る。