年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

明治の毒婦伝説 花井のお梅

2019年07月04日 | 宅老のグチ

清水の次郎長のことを調べていたら、NHK歴史への招待3 昭和55年というのが検索に出た。借り出したら(明治一代女)花井のお梅の事実を調べていた。明治に入って没落した下級士族の悲劇であるという。お梅が美貌であったので芸者となって稼ぎ、元士族の父を助けた。これが故殺人事件となった。史実と事実がこれほど異なるのも明治という時代かもしれない。お梅が芸者で稼いだ金で日本橋浜町二丁目の藤田茂吉の跡地を購入し、酔月楼という待合を経営するようになった。この経営権の問題から殺人事件となった。今の感覚からだと没落した父のための資金援助なので貞女とも見えるという。この待合の経営権を巡って父方に味方した箱屋(芸者の荷物等を扱う。今のタレントマネ-ジャ-)を殺した。

 花井のお梅は元佐倉藩士の子女で同じ佐倉藩士の子であった次の5千円札の津田梅子は1歳年下であった。日本にいた時の事件で津田梅子はお梅の事件を知っていた可能性があるという。作家吉川英二の母とお梅は同じ佐倉の町内で遊んでいたという。

 福神漬の歴史は士族の授産という観点から調べないといけないと最近感じている。旧来の商売に参入して昔からの商人と対抗できるはずがない。この本で秩禄処分で得た公債の金利だけで生活できないと書いてあった。明治6年に死去した長井昌言は幕府時代2000石だったので浪費しなければ金利だけで親子二人の生活ができたかもしれない。しかし下級士族は5%の金利で今の物価の直しても5から7万円しかないという。これでは生活ができない。山岡鉄舟と酒悦主人との交際も山岡の書を買うことで、士族の援助としたのだろう。次郎長も山岡の書で鉄舟寺の再建の資金の一部としたという。金銭に無頓着な山岡は商人から書で金銭を得、没落した士族を助けたと思う。山岡も酒悦が缶詰と上野ということから受け入れたと感じる。山岡鉄舟の書は大量に出回り、あまり高価な値がつかないという。桃園と書いてある山岡鉄舟の書は今でも不二聖心女子高校にあるのだろうか。

 江戸時代末期は武士の交際費が多大で地位を得ることや地位を維持する交際費の必要性があった。

 

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