5年ぶりの運転免許講習を終わる。高齢者の免許更新には1万円ほどかかる。鮫洲の警視庁センタ-で認知症の検査、教習所での講習5100円、さらに書き換え時に2500円、それに交通費等を入れる。まあ高齢者の暇な人は時給は計算しない。年金生活の人に警察関係の人たちの老後の生活維持政策だろう。年金生活で苦しく老後も高齢運転者で維持している労働者の血を吸う吸血カのような存在だ。警察情報を3面記事で得ている情報機関は追及できない。今の交通事故は人口比率で高齢者が加害者・被害者になるのは当然で、車両のみの交通保険は個人向けの保険と分離する必要がある。事故の起きやすい人は高額の保険料とするべきだろう。罰せられるのは個人であって、法人は監督の道義責任があっても罰せられるのは稀だ。事故違反デ―タで保険料は割り引く時代となった気がする。
18歳の人口が減り、昔より自動車教習所の生徒が減った。それに伴い教習所も経営が厳しく、さらに自動車運転免許の価値も減り、教習所制度の維持政策だろう。今の傾向から70歳から始まる高齢者教習制度はいずれ65歳から始まるかもしれない。今度の更新で一番苦労したのは教習予約が困難ということである。この困難さが免許返納を企画する政策であって、仕事のための仕事のための運転免許の人にはいじめに近い。特に公共交通機関の少ない都市町村の人にはぼったくり感があるだろう。いずれ人口が減ればぼったくり制度は維持できなくなる。
公務員を退き、年金生活に入ると国の制度のぼったくり政策が酷いことに気が付くだろう。一番ひどいのは住宅地で(未来の子供たちを支援します)と大音量の拡声器で昼寝を覚ます選挙車だろう。午後の住宅街は子供の安眠時間である。目覚まし選挙車で名前を叫んでも反発しかない。もうデジタル選挙の時代だが、公約はデジタルでは後々まで残る。