年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

50年前の自分の日記を読んで

2022年01月05日 | 宅老のグチ
写真とか本の整理をしている内に50年前の書きかけの家族史が出てきた。もう忘れてしまった昭和30年12月の父の死の状況とそれによる周囲の変化があったことを知る。やはり家族の中心で不幸があると全体がくるってくる。
 さらに戦前の写真も出てきて、今のうちに内容を聞かないと誰か判らなくなる。今本の整理をしているがようやく分別の方法が見つかって、近所の図書館と都立中央図書館にある本は捨てるか売る。そして図書館にない本だけが残る。様々な本をコピ-した紙も小さくし、ネットに上げ必要なら再度どこから検索できるかして、捨てる。
 自分の日記は書き直し、パソコン上に保管する。今はPDF化されたものも検索できる様だ。技術の進歩の速さは想定より早い。
 様々な制度仕組みが、時代の変化についてゆけない高齢者を取り残す。正月明けの二日にマルエツというス-パ-で父の墓に備える生花を買った。通常より200円ほど高かった。レジの行列は長い。なぜならレジ要員が少ない。若い人は無人のセルフレジでバーコ-ドを読み取り、決済して出てゆく。列に並ぶのは高齢者だけだった気がする。
 年寄りの特権は無知を装い人に聞くことで、混んでいないときは実践するしかない。大手企業に勤めていた男性が定年で家に引きこもると、お茶出す人もなく粗大ごみとなる。
 明日は昨年予約した粗大ごみの日で今日から準備が始まる。
コメント
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