年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

昭和の終わりは何曜日

2022年01月06日 | 宅老のグチ
いつの1月の築地市場の初荷が終わって、挨拶行事も終わり一息ついた築地市場の夕方に昭和の終わりの日を思い出す。

1989年(昭和64)1月7日午前6時33分 昭和天皇が崩御される。確か土曜日だった気がする。車の飲酒運転の絡みで、社内の公式行事の新年会は築地4丁目の新喜楽の隣の今は調剤薬局となっている上海料理の福新楼だった。天皇陛下の崩御を聞いて、臨時幹部会で新年会が中止となり、福新楼にはお詫びの電話を入れ、後日に埋め合わせの新年会を行った。確か年度代わりで4月の10日過ぎだった記憶がある。
 築地を含めて、中央卸売市場の日付は和暦で、請求書の関係で1月の伝票類は昭和だった記憶がある。伝票類は慌てて訂正ゴム印を多数買って、暇な時期に押していた記憶がある。手形用紙は昭和の印刷があって、訂正印が必要か銀行に聞いたが、今ではどう返事があったか記憶にない。この昭和から平成のドタバタで官庁の権限が及ばない組織は和暦から西暦になった。特に食品は輸出している関係で日付は早くから西暦だった。
 深夜のNHKの終日放送になったのは昭和63年秋の天皇陛下の下血報道から始まった気がする。9月10月は年末商材の打ち合わせだったが、もしの場合で自粛となれば大変な損失だったと予想していた。何とか1月まで医者たちの努力で持ちこたえたようだ。今の上皇の早期引退はこのことを念頭に置いてあったと思う。
 1月8日は平成の始まりで、小渕官房長官が額を掲げた姿を記憶に残す。令和の額を掲げた菅官房長官も首相となった。平成になり天皇誕生日が12月23日になり、正月商材がクリスマス商戦の方にス-パ-が力を入れて、正月の和食文化の衰退促進となった。それは元日から営業しているので買いだめする必用が無くなったかもしれない。何かが伸びれば何かがが消える。食の栄枯盛衰の記録は衰退記録が少ないと感じる。
コメント
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