年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

物欲が消えて

2022年01月18日 | 宅老のグチ
引っ越し準備のための家にある物の量を減らしているが、コロナと想い出に浸っていて分別が進まない。それでも壊れたものや、図書館にある本などは処分の対象となっている。

 ショッピングセンタ-にある商品はもう何の魅力もない。はかない所有欲が残っていて、かろうじて暑さ寒さの対応の商品しか気にならない。入りきれないものはコンテナ収容すればよいのだが、畳一枚の大きさで、月々1万円最低の保管費用がかかる。これでは安いからと言って家に収納しきれないと、不良在庫となる。古着のところで売っている衣料は今はリサイクル品と呼び名を変えた。結構若い人が購入しているようだ。
 ひとたび新品が販売されたとたん、中古品となる。リサイクル品買取店舗に不用品を持ち込んだが、買取不能で半分持ち帰った。なにか価値の無いものを抱え込んだ気分となる。リサイクルショップには若い人が多く、少ない給与で工夫しているのでし好の合わない高齢者の昭和の遺物(衣料品)はごみになるのだろうか。この不用品も200年経てば骨董となると思うが、昭和に比べ長期の保存に耐えないとも思う。土地の測量の公式保存書類は和紙で作成されるようだ。
 高齢の著名な芸能人が出演していたTV番組からドンドン外されている。視聴していても高齢者は買う意欲が薄いので宣伝効果がないとみっれているのだろうか。せめて少ない食費でおいしい生活を送りたいと思っているはずだ。でも高齢者の大食は病気と思ってよい。
 懲寿という言葉を頭の中で作った。75歳を過ぎると、後期高齢者となって、健康保険の仕組みから切り離され、邪魔者扱いとなった気がする。とても長寿として祝いされる気分には慣れない。不都合だけどまだ病気にはなれない。老老介護者として病院送迎業務が残っている。今はスーパ-等で駐車する時高齢運転者は見つめられる。

コメント
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