年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

 台風4号チェック               

2022年07月05日 | 宅老のグチ
から梅雨だった2022年もやはり帳尻合わせの台風が来ている。まだ被害は出ていないがこれから避難が増えるだろう。先週のauの通信混乱が台風に重ならないのは運が良い政権だ。
 四国の貯水の中心の早明浦ダムも一時は貯水率29%程度前下がり、今は39%まで回復した。今後も進路にあたるのだがどうも50%には行きそうにもない。でも四国全体が雨になるので7月は何とかなるのではないのだろうか。何年か前に0%までの早明浦ダムの貯水率になって、台風が来て1日で100%の貯水率となった。
 小学校の地理で瀬戸内は雨が少なく、塩田が多いと教えられた。確かに赤穂に行ってみたら学校の教科書のような風景があった。今は製塩方法が異なり塩田は消えた。四国の徳島は漬物の国内原料の産地でここは吉野川の影響を受ける。早明浦ダムの貯水率が下がると四国の隠された問題が表沙汰となる。

 福神漬の調査で千葉県市川市行徳のことで塩を調べていた。

…江戸幕府は当初の江戸の塩需要は下総行徳,武蔵大師河原など江戸湾岸で産出される地塩(地廻り塩)に依存していたが,江戸の都市発展は地塩だけではとうてい需要を満たしえず,下り塩の瀬戸内十州塩に依存せざるをえなくなった。瀬戸内塩は元和(1615‐24)ころから江戸に流入しはじめるが,初めは阿波斎田塩,播州荒井塩,同赤穂塩が中心であった。幕末には浦賀の塩の統計ではかなりの瀬戸内からの塩が認められる。
 塩田風景が消え、オイルショック時に塩まで買いだめになった記憶がある。今はトイレットぺ-パ-の買いだめの記憶が残るが砂糖と塩の買いだめ騒動は消えた。
 
コメント
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