連日の雨と日程から洗濯物をコインランドリ-で乾かすことにした。待ち時間で居眠りしない本と選択したのが (血塗られた慈悲、笞打つ帝国。−江戸から明治へ、刑罰はいかに権力を変え)この本は一昨年大学病院に入院中に読んでいて、看護婦にホラ-本とみられた。
明治の初めに日本の牢獄の改革をした人。小原重哉のことを詳しく書いた本。
明治政府の不平等条約改正を目的とした体制が徐々に進展するに従い、江戸時代の刑罰制度と欧米の制度の食い違いが目立ってきて、刑罰の仕組みを変えないと条約改正にはならないことを指摘され日本の刑罰制度を変えた小原重哉の評伝本になっている。
条約改正には仇討とか切腹、むち打ち刑などの法制度の整備が必要だった。さらに斬首は残酷な死刑で絞首刑になったという。
なぜこの本が気になるというのは明治3年10月河鍋暁斎が上野の不心池の畔の料亭で書画会中(客がいる前で即席の芸術を披露する)に政府批判ともいえる絵画と為政者批判の言動をしたとしてとして投獄された。そして大番屋というまだ江戸時代からの取り調べ番屋に収容され、不衛生のため間も無く病気となってしまった。
瓜生政和(梅亭金駕)と河鍋暁斎が暁斎画談という自伝本を出版し、当時の大番屋の様子が風刺画となっている。
この大番屋の風刺画と書画会(客がいる前で芸術を即席に披露する)での暁斎の言動が暁斎の研究者たちの統一した見解はまだない。蕨市図書館で研究誌暁斎では度々論及しているが決まっていない。暁斎はむち打ち刑だったので江戸時代の刑罰が継続されていた時期でもあった。西洋の監獄をまねした木造2階建ての獄舎が出来たのが明治七年(1974年)鍛冶橋に監獄署が設けられ,衛生面が改善され、獄内で病死する人が激減しました。
二日の雨で桜見物日程が混むし、4月に入れば浅草三昧になりそうだ。その中で浦和と蕨行きが混ざる。そして海が荒れない時期に新島に行きたい。色々調べごとがあるし、春日部市の観光施設でもらったパンフレットから地下神殿見学もしたい。これは100Mの高さの階段があるので年寄りにはきついので遅らすことは出来ない。
コロナで人生の3年を浪費し、さらにこの期間に親族を二人亡くした。先は意外と短い。タレントのだれかが不要不急の芸能記者が突然の訪問行動で慌てた老女が骨折し、フレイルとなり間も無く死去したと憤っていた。大腿骨骨折は高齢者は死を呼び寄せることになる。健康であればあるほど入院経験が少なく骨折は長期入院となる。入院が長引くほど世間の付き合いが断絶する。ましてコロナ期間中は入院患者の面会謝絶で気分は晴れない。特養で101歳で死去した母もリモ-ト面会は出来ず、コロナの感染が弱まった時、一度15分だけあった。これが今は救いとなっている。面会しても何もできないとわかっていても。