年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

3.11の日に蕨市図書館で半旗

2023年03月11日 | 宅老のグチ
3月11日 慰霊の半旗のある埼玉県蕨市の図書館で再び研究誌 暁斎を読む。この2年のコロナ蟄居で暁斎の気になるところが増えた。JR蕨駅の前の所が空き地となり99Mの高層マンションとなりそうだ。チョット前に行ったJR浦和駅前も高層マンション工事中。この分だと埼玉県の東京寄りは高層マンションとなりそうだ。
 蕨の図書館でいつも郷土資料の書庫から暁斎の研究誌を出してもらう。91巻から103巻まで読む。年だから根気が続くのがせいぜい2時間半まで。それ以上は本を眺めているだけと感じる。帰りの東京戻りはJR王子駅でサクラトラムに乗り換え。庚申塚駅でおり、旧中山道を都営三田線巣鴨駅まで歩く。土曜だけれど高齢者は毎日日曜日で混雑はない。JRで気が付いたのだがマスクなし乗客が増えて、さらに顎マスクも増えた。13日の電車は注目だろう。
 暁斎を読んでいて(金は剣より強し)という諺があった。ペンは剣より強しということは知っていた。言論は武力より強いということ。
 今の共産中国はアリババに対する強権発動を見ていると、体制崩壊を招く存在がアメリカからイスラム宗教、宗教と変わり、今は腐敗と思っている様だ。金はしぶとい。インフレの今でも金利が付かない金は保管料がかかっても安定している。日本以外の国は金の方が緊急時の安全資産の様だ。
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3.11の日に

2023年03月11日 | 宅老のグチ
昨日3月10日は大江戸線両国駅で降りて、震災戦災慰霊堂へ行った来ました。慰霊堂の扉が開けれ、どうやら一部の人が中に入れるようです。時間が昼前で普段より(もう4回目の訪問なので)多いと感じました。都の職員らしき人が喪服対応でこれは知覧の慰霊祭と同じと感じました。慰霊堂の前に垂れ幕があって、2023年関東大震災100年とありました。関東大震災の後でも多くの死者を地震では出ています。最近ではトルコ・シリアでまだ数字が動いているが6万人ほどの死者が出ているようです。日本の震災は倒壊による死者よりやはり津波の方が多いと感じる。3.10の東京大空襲はまだ心の整理とかあきらめの時期に来ていないようで記憶のある人がまだ探している様だ。

 目的地の墨田区緑図書館で両国駅の由来を調べる。地名の両国が隅田川の両側にあって人によって混同していて、頭を整理したかった。今は両国という地名がほとんど墨田区のほうだが、江戸時代の両国の火除け地というのは今の両国橋の西側、つまり中央区の方だった。また依然の蔵前国技館は一度相撲を見に行ったが今は東京都の下水処理場になった。この蔵前国技館は相撲の全盛期という声が多い。他の娯楽がまだない時代で食料が豊富になってやせっぽちの力士が太ってくる時期でもあった。江戸東京博物館は東京都中央卸売市場江東青果市場で、地名が横網(ヨコアミ)で漢字を見た時、横綱(ヨコヅナ)と言ってしまった時もある。
 東武線の歴史と親族の関係でやはり東武線の影響が下町にあると思っている。そこで東武線の両国橋駅というものを調べようとしたが緑図書館でははっきりしない。どうもJRの方の歴史本が多い。今のJR錦糸町駅が総武線の終点だったが今のJR成田線の前身の鉄道が開業すると、成田詣での客の獲得競争と、銚子の醤油輸送の絡みで、今の錦糸町駅から両国駅に伸ばし、さらに高架で秋葉原まで伸ばした様だ。この醤油輸送と利根川水運による醤油輸送競争が福神漬の歴史に絡んでくる。
 東日本大震災の数年後に3.11の津波で千葉県旭市飯岡町で慰霊祭の予告看板を見た。九十九里浜の外れの刑部岬の飯岡灯台で、震災時の津波写真を眺めていた。江戸時代の陸地は遠くまであって数百メ-トルが侵食されていた。もう津波で亡くなった千葉県民は地元の人しか記憶にないのだろうか。千葉県の津波による死者行方不明者十数名という。飯岡の助五郎の地は旭市下永井と言い、上永井は灯台のあるところで、幕臣長井家の知行所で、福神漬命名の由来を語っている鶯亭金升(長井総太郎)の所で小林清親が飯岡の助五郎の家に泊ったという伝説がある。小林は鶯亭金升の仲人でもある。
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