常盤台の板橋区平和公園内の板橋中央図書館へ行って、志村のみの吉さんという篤農が育てたみの早生大根を志村郷土誌という本で調べようとしたが無理であった。手続きに時間がかかって、都内の貸し出し連携で図書館で借りることが出来るという。多分1ぺ-ジか2ぺ-ジ程の文があるだけだろう。
平和公園の名前の由来が書いてあって、板橋区に陸軍の兵器工場が多数あって、米軍の空襲で亡くなられた人が多かったようだ。
都営三田線の蓮根駅で降りたのだが選択のミスで地図で調べると志村3丁目駅で降りたほうが良かった。帰りはプラネタリウムのある教育会館のバス停から王子駅行きに乘り大和町バス停で降りる。この近辺に得意先があって、旧中山道があることを知っていた。江戸からの京都へ行く道の裏街道というべき道で最初の宿場となる。環状7号線の大和町陸橋に旧中山道が邪魔され車の量は少ない。昔の車の排気ガスが酷かった時、大和町と新宿区の谷底にある交差点の空気が酷かった報道の記憶がある。それより大気汚染が酷いと中国の人民日報で言われていたのが築地市場の仲卸売場の大気だった。当時はタレ-の大部分はガソリン車だった。
旧中山道を板橋区役所へ向かって、途中の石神井川に架かる橋があって、これが板橋という地名の由来という。この川が王子方面に流れ、根岸へ向かう。
板橋区の観光センタ-で観光地図を眺めると区役所の位置が極端に東京中心部の位置にある。これでは西武線沿線の板橋区民は区役所に行くのに交通費と時間がかかりそう。戦後に練馬の住民が分離独立運動をした口実で役所へ行くのに遠いと言っていた。
間も無く都営三田線に神奈川の相鉄線が乗り入れる。居眠りすると大変だ。