大洲インターで降り、大洲市内を目指すが、その前にちょっと寄り道をして
肱川沿いに広がる菜の花畑へ。
肱川沿いに大きく2つのブロックがあるが、こちらは、畑の前河川敷。
向こうに見える橋は、畑の前橋。
菜種油を絞るためだろうか?
遠くにもう一方の五郎河川敷が眺められたが、見学はこちらだけ。
大洲に着き、丸亀へ向かうダンナとは別れ、私は大洲市内観光へ。
まずは、おはなはん通り。
水路を掃除しておられる。
大洲の観光を終えて感じたのは、町の人が優しい。
そして、みんなで大洲を盛り上げていこうとがんばっておられる。
おはなはんの実際の故郷は徳島市らしいが、撮影は古い町並みを残す
この大洲で行われた。
おはなはんは高視聴率をはじき出し、徳島市が悔しがったとか・・・。
懐かしい朝ドラ「おなははん」が放送されたのは45年前。
ふ~、半世紀になろうとしている。
この男優高橋幸治さん、今はどうしておられるんだろう?
寡黙でニヒル・・・、山崎努さんと共に、私が好きな俳優さん。
霧で有名な肱川へ出ると、桜に包まれる大洲城が望めた。
立派な護岸に驚く。
伊予の青石だろうか?
ここも桜が満開だった。
大洲城は後にして、臥龍山荘に行く。
大洲へ来たなら絶対はずせない名所だろう。
清流肱川河畔でも最も優れたこの景勝地に初めて庭園を作ったのは、
文禄の頃、藤堂高虎の家臣渡辺勘兵衛。
その後、第3代大洲藩主加藤泰恒公が吉野の桜や龍田の楓を移植して庭園を充実。
幕末まで歴代藩主の別荘のようなものであったが、補修もされず荒れていたものを
明治の貿易商河内寅次郎が、明治30年に買取り、構想10年、工期4年の歳月をかけ修復。
3000坪の敷地内に建物は3棟あり、なかでも臥龍院は、桂離宮や修学院離宮などを
参考にし、大洲や京都の名工によって施工された。
建物の内部は写真撮影禁止。
玄関から「清吹の間」にあがり、あまりの涼しさに驚いた。
涼しいを通り越して、吹く風が冷たかった。
それもそのはず、夏涼やかに・・・と、作られた部屋で、高い天井、床は籐敷き、
肱川からの風が部屋を通り抜ける。
臥龍淵を眼下に望む不老庵。
この建物には、生きた槙が捨て柱として使われている。
不老庵から眺める肱川の流れ。
神戸の庭師植徳が10年がかりで作った庭園に置かれている庭石。
手前は臼石というらしい。
贅を凝らした建物と庭園だったが、なんとなく印象が薄い。
パンフを見て、「あぁ、そうだった・・・。」と、思い出す。
室内の写真は、どうして禁止なんだろう?
三脚やフラッシュを使わなければ、写真を撮ってもいいような気がするが・・・。
だらだら歩いて ポコペン横丁という所にやって来た。
昭和30年代の空間を演出しているらしい。
なんだったけ、この自動車?
明治34年竣工した元大洲商業銀行が赤レンガ館として活用されている。
1階では大洲の特産品や手作り雑貨などが販売されていて、大洲の土産物を
買うには便利。