前回、初めて佐渡を訪れた時、相川ふれあいガイドを利用し、ガイドさんから詳しく
説明を聞いた北沢浮遊選鉱場跡。
広い敷地内に点在する近代化遺産に圧倒され、諸施設の説明を聞くのに没頭し、
写真は撮れなかった。
その写真を撮るのが今回の旅の目的の一つだった。
ファミリーオ佐渡相川に荷物を置いて、すぐに路線バスで相川まで戻る。
相川のバス停から北沢あたりまで歩くと20分ぐらいかかるので、タクシーに
乗ろうかと思っていたが、宵乃舞のシャトルバスが出ると観光協会の人に教えてもらい
シャトルバス(無料)に飛び乗る。
北沢駐車場にバスは停まり、レンガ造りの発電所跡が目に飛び込んで来た。
この日は宵乃舞開催日なので駐車場でスタッフが車を誘導しているが、普段はいない。
夕陽に照らされる近代化遺産群、見学に訪れている人は誰もいない。
よほど興味のある人しか来ないのだろうか?
案内板などしっかり整備されているのに、金銀山見学のみで帰ってしまうのはもったいない。
佐渡金銀山に関連する地図で、青色の矢印が今見ようとしている北沢地区。
上左側の建物は明治時代に建てられた佐渡鉱山の本部建物や旧北沢青化・浮選鉱所など。
上右側の建物は昭和初期、国の増産体制のもと建設された主要施設。
佐渡鉱山の本部建物や旧北沢青化・浮選鉱所跡
今は草に覆われ建物の一部しか見えない。
明治になり、北沢地区に佐渡鉱山の本部組織である御料局佐渡支庁が置かれて
佐渡鉱山全体の一大拠点となった。
当時最先端の選鉱・精錬技術が実用化され、金銀生産ラインの最終工程の為の
施設が次々と作られた。
昭和初期に建てられた北沢浮遊選鉱場は採取した鉱石をより分ける施設。
東西115m 南北80m の規模を持ち、国策(戦費を賄う)による増産体制を整える
ため、施設の大改修がされ昭和27年までこの施設が使われた。
かつては斜めに屋根があったが、今は屋根も内部の機械類もない。
手前にトロッコのレール見える。
左手が明治に造られた本部等の建物。
夜にはライトアップされる。
この中、恐ろしくて入れないだろうなぁ。
もちろん、立入禁止です。
さらにアップで
丸い建物は昭和15年完成した直径50mの泥鉱濃縮装置のシックナー。
かつては複数あったらしいが、今、残っているのはこの50mシックナーだけ。
間(あい)ノ山の搗鉱場から排出された泥状の金銀を含んだ鉱石は、この装置で
水分を分離する行程を経た後、対岸の浮遊選鉱場へと送られ、他の金銀材料と
一緒に処理され精鉱となった。
今、シロツメグサが咲いているあたりは、機械部品の木型用材を加工した製材場。
夕陽を浴びて輝くシックナー。
こちらは機械部品などを作った鋳造工場の跡で、キューポラが残っている。
火力発電所 背後に物資を高い所に運ぶインクラインが見える。
現在、建物の中は展示室になっており、往時の様子がうかがえる貴重な写真が興味深い。
上から(相川病院から)眺める
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